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【ボブ・ディラン、ノーベル文学賞】文学なのか?[1]

文学界から「歌が文学なのか?」などの疑問が呈せられていますが、どう解釈すればよいのでしょうか?

「風に吹かれて」は私も影響を受けました。しかし、英語の歌詞で文学的な感触までは受け取れる人は日本人には少ないことでしょう。私も文学的とは感じていませんでした。

反体制運動


反体制・反戦歌として「ふざけたヤロー」との感触のほうが大きかったのを覚えています。「歌で何が出来る」との思いです。当時はベトナム戦争が進行しているときで、反戦歌はジョーン・バエズなど多くの影響力がある歌手が出てきましたが、反体制運動の中で「歌で戦争を止められるものか!」と思っていました。資本主義の植民地政策が進んで、帝国同士の利害がぶつかり、縄張り争いするのですから、無力感がありました。反体制運動の中では「無力感を代弁する歌」と言える存在でした。

資本家の利益のために若者が戦地に赴き、死んでいくのです。「国の危機」ではなく、「資本家の利益のため」にです。第一次、第二次世界大戦は、資本主義が起こした戦争です。そしてファンドの活動は、また労働者の犠牲の上に成り立っています。その不平等は「アメリカ大統領候補トランプ」を生み出し、かつてのヒトラーのように振る舞うのでしょうか・?

ボブ・ディランは「反体制」と言うよりは、「不良」ともいえるしぐさに見えるのです。天才なるが故「感性で反体制を唱えた」のでしょう。文学と言うより、その「卓越した感性で時代を見抜いた天才」と私は受け止めていました。

反戦歌

日本が学生運動で騒がしかったころ、ベトナム戦争が激しく、アメリカの若者にとって徴兵拒否も出てきたころです。共産主義でベトナムが倒れれば「将棋倒し」でアジアは共産化すると、アメリカは本気で考え、フランスに替わってベトナムに介入していった頃でした。

太平洋戦争後、ディエンビエンフーで重火器も十分にないゲリラのホーチミン軍に、近代的武器を持ったフランス軍が、まさかの敗退をすると、南北ベトナムに分断されて、北ベトナムはホーチミン、南ベトナムには親米政権が設立されていました。そして南北ベトナムの境界線近くのケサンでベトナム戦争最大の戦いが展開されていたころです。

ボブ・ディラン、ジョーン・バエズなど多くの反戦歌手が登場していました。50万人のアメリカ軍が投入され南ベトナム軍と合わせると人類史上最大の編成軍ともいうべき近代装備の軍と、人海戦術と言うべきべトコンが対峙したのです。私も「アメリカ軍が負けるはずはない」と確信していました。

歌は核兵器よりも強し

「核兵器を投入すべし」と本気で考えられていました・・・・・つづく

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