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【富士重工業・改め・SUBARU(1)】中島飛行機からの歴史

2017/04/12

写真出典はスバル公式ページ
https://www.subaru.jp/impreza/impreza/special/photo.html

このところ好調である富士重工業は4月1日付けで社名を「SUBARU(スバル)」と改めると発表しました。名門の日本企業が、また一つグローバル企業に衣替えしていきます。

日本経済 電子版 2017/3/31 16:57
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ31HTB_R30C17A3000000/
社名も「SUBARU」、ブランドで生きる 都内で式典

日本経済 電子版 2017/4/3 5:30
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO14760550R30C17A3000000/
新生スバル、目指すは「脱・自動車メーカー」

➡【ホンダF1エンジン、瀕死】マクラーレンはメルセデスと契約か?[1]


SUBARUの旧名称は「中島飛行機」

現代の若者たちの中には、自動車のスバルが飛行機の会社であったとは、マニアでなければ知らない人も多いことでしょう…。

■一式戦「隼」

戦前から戦中と、スバルの前身は三菱重工と並ぶ航空機産業で中島飛行機でした。

三菱「ゼロ戦」と同時期に同じエンジンを積んだ「隼」を作り、太平洋戦争初期には活躍しています。インドシナ戦線で活躍した「加藤隼戦闘隊」で有名でした。ゼロ戦に比べると、同じエンジンを積みながら、プロペラ直径を抑えたり、減速ギアを使わなかったりで推力が弱く、武装が翼に装備できない構造のため、ゼロ戦にはあった20ミリ機関砲がないなど、設計思想が古く開戦直後に旧式化してしまいました。

 

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これは、「物事の良し悪しはその思想にある」ことを教えてくれた物語です。

今度の「富士重工業」から「SUBARU(スバル)」への社名変更に当たり、吉永泰之社長が語った「自動車業界の変遷についていこうとする思想」と同じで、隼とゼロ戦の当時の違いのように、その考え方が正しくなければ生き残れない現実が示されています。

また、あまり知られていないところでは「ゼロ戦の生産量」で、実は富士重工が三菱重工の2倍作っておりました。戦時中の非常時で、挙国一致のため量産技術に優れる富士重工が多くのゼロ戦を作っていたのでした。

■四式戦「疾風」

「ゼロ戦」「隼」が1千馬力級の機体でしたが、「疾風」は2千馬力級の機体で、レシプロエンジン(自動車のエンジンと同じようなピストンエンジン)の戦闘機としては最後の高性能機でした。グラマンF8F、ノースロップP51ムスタングなどと肩を並べる機体でした。

 

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最高速度では、アメリカ機の700km/hを超える機体と比べると624km/hと低いのですが、ゼロ戦と同じように旋回性能に優れ格闘戦では強かったと言います。アメリカ軍に捕獲された機体は、アメリカ本土でテストされ680km/hを超える性能を発揮して、アメリカ軍は「ジョー」と呼んで警戒したと言います。

この性能の差の理由は、ギリギリまでスリムに作られた「誉」エンジンが、終戦間際の日本軍のガソリンの質の低下で性能が思うように発揮できなかったためと言われています。現在の自動車のレギュラーガソリンにも及ばない、低オクタン価のガソリンで巡行して、戦闘時だけハイオクタンに切り替える状態では思うような性能が出なかったのでしょう。

日本人は、その当時からギリギリの性能を求める思想であり、それが裏目に出ていたのでした。しかし、それが石油危機以降の日本製品の強みとなって、現在の日本の自動車が省燃費で世界を引っ張る情勢となっています。アメリカ車の現状と比べると「世の中は変わる」と実感させられる出来事なのです。

エアロスバルFA-200

戦後の日本航空機界で三菱MUー2と共に作られた軽飛行機です。再び三菱重工と富士重工が航空機業界に返ってきた証でした・・・・
【富士重工業・改め・SUBARU(2)】アクロバット飛行ができるエアロスバルFA-200➡



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