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【試乗記と言わせない!】あるジャーナリストのトヨタ・新型カムリ試乗記

2017/08/16

この記事を「試乗記」と言ってほしくない。自動車ジャーナリストの姿勢が問われるだろう。自分の感想が正義ではない場合がある。そこで感想は控えめに、客観的基準で評価すべきなのだと思う。TNGAをカーグラフィックの記者が「なんですか?あれは!」と言ったのを聞いて、車を感性だけ受け止めるのは危険であると感じている。



Response.  2017年7月29日(土)・08時30分

https://response.jp/article/2017/07/29/298027.html

【トヨタ・カムリ 試乗】そもそもセダン復権の必要性があるんだっけ?…

 

「そもそもセダン復権の必要性があるんだっけ?」とは何事か! メーカーが市場調査で必要性を認めていなければ造らない。それを一方の立場から茶化すように語るのはジャーナリズムの精神に反する。間違いだ!

この記事の中で「狙うはセダン復権」としているが、メーカーの狙いは「セダンの魅力を再発見」とみるべきだ。そのそもミニバンブームが日本を中心として起き、EUや北米では起きにくいブームであることを理解していない。また、セダン回帰が「理に適っている」ことを知らない。

これほど燃費規制が叫ばれる中、全面投影面積の大きなミニバンが奨励されていい訳がない。90km/h以上では空気抵抗がエンジン出力の半分以上を消費するようになることを知らないのであろうか? EUの200km/h巡行ではとても受け入れられないスタイルなのだ。SUVブームも問題視されねばならない。それはEV・PHVであっても同様だ。

※参考:車両の走行抵抗(いすずHP)
空気抵抗のグラフを見てわかる通り、「バン」と「平ボディ」では速度が上がるほど空気抵抗(N)が上がるのがわかる。時速70kmを超えるころから顕著になるのだ。その分エンジンの出力が必要となり、燃費も悪くなる。

 

この人類規模の燃費問題での正論を、気にもかけない姿勢は許されない。燃費規制は経済、政治の力関係まで変えてしまう重大な問題だ。

もう一つ、5ドアハッチバックスタイルがプリウスから日本に定着したとみるのは間違いだ。50年ほど前、女房が日産チェリーを乗っていたのでびっくり。そのまま結婚して私も便利にさせていただいた。そのころから5or3ドアハッチバックは、一定の利便性を認める動きがあったのだ。ホンダシビック、N360など実績は多くある。


スタイルについては人それぞれで良いのだ。SUVで「カッコイー」と感じる人もいる。フェラーリでも、ポルシェでも同様だ。ミニ・クーパーを半世紀ほど前に見たときの衝撃は忘れない。「ヨーロッパだな~」と感心した。ロータス・ヨーロッパに乗ったときは、「後ろが見えない!トラックの下に入ってしまうほど低い!」と恐怖に感じたが、外から眺めると、いつまで見ていても飽きなかった。


SUVでも操縦性の良さを求める動きが顕著だ。それはフェラーリを除くスポーツカー・GTのレジェンドメーカーが、こぞってSUVを作り始めたからであろう。ミニバンブームでは「何人乗れる?荷室はどのくらい?」など単なる移動手段としての能力にしか興味がない様子だった。現代の「物理嫌い。算数苦手!」の子供たちが増え、そのまま大人になったからであろう。

運転を見てみると、「車が動いている」と分って運転していない人々が増えた。テレビゲームの画面を見ている感覚なのだろう。しかし、TVゲームと違って物理的に車は動いている。例えば、カーブにかかる時のライン取りにしたって、前後の車の動きに合わせてカーブにかかるタイミングをはかる、など眼中にはない運転が見受けられる。ただただ、やみくもに前進あるのみだ!

車は物理現象にのっとって動いている。その力学を体に感じながら、操作しないと危険でもある。また他者に大いに迷惑をかけている。他者との関連性を理解できない人が増えている。道を走るときも「唯我独尊」は迷惑で危険だ。

だから、ジャーナリストが独断と偏見を見せれば、そのような感覚を助長することになる。車は品質が基本で、それが担保されないと危険でもある。その品質を保証するのは、造る人たちの良心だ。モラルの低い作業者が造ると、三菱自動車の如くなり、人殺しをしても直らない、反省が出来ない体質を生むのだ。

三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)7月に発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称:三菱ふそう、現:三菱ふそうトラック・バス)による、大規模なリコール隠し事件をいう。

一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。横浜母子3人死傷事故、山口トラック運転手死亡事故。

本事件を基にした、池井戸潤の経済小説『空飛ぶタイヤ』も出版された。

ウィキペディアより

 

 

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この社会の文明は「品質保証」「信頼性工学」の概念で出来上がっている。交通システムも100%安全ではない。しかし、できうる限りのことを良心に従って行うことを前提にしないと、国が成り立たない。自動車ジャーナリストが独断と偏見で記事を書いては、社会が乱れてしまうことを自覚するべきなのだ。ジャーナリストは社会的影響力が強い職業だ。その影響力を責任を持って行使しないと社会悪になる。

VWなどが燃費規制プログラムの不正をしていた。「VWもこれでおしまいなのか?」と思っていたら、日本のジャーナリスト達は批判をしない。それどころか「VWの次の新車は・・・」と宣伝している。政治家が不祥事を起こせば失脚するように、自動車メーカーも不正をしたら倒産するようにしないと、社会は乱れる。モラルの落ちたゴルフ場でプレーをすると良く分る。危険だし、うるさくてプレーに支障が出る。


最近の車の足回りのセッティングは、スプリングを柔らかくダンパーで受け止める設計になっている。「日常使用で乗り心地が良く、高速走破で安全に」と考えられている。その乗り味は、前後ダイブも、横のロールも抑えられ、素直にヘッドを回頭していくイメージが出る。この記事のカムリ操縦性の感想も、このようになっている。ひと昔前の、高級チューニングカーの高度な技術を取り入れた技術者、作業員たちの並々ならぬ努力のたまものと受け止めることが基礎である。

それは、このカムリという車の品質を保証する「まじめで思いやりのある姿勢」の作業員たちの思いだ。それを軽々しく、軽薄な知識で評価するなど、車の品質を考えない、とんでもない言動である。品質を軽く見ると、社会が成り立たなくなる。中国の食品の品質が日本では不安を呼んだ。車造りが、当時の中国企業の「マックナゲット造り」のようであったのなら、車に乗れなくなるであろう。


「SUVなど太った豚腹で醜い」と評する人もあり、「スポーツセダンこそが車の本筋」と理解している人もいる。セダンは復権しても良し、すたれても良し。だけど、「より良い車を造ろう」と努力する人をさげすむようなコメントをジャーナリストはするべきではないし、出来るはずもない。客観性のある基準を求めるべきなのである。

※残しておきたい車関連のTV番組:ついつい見てしまう自動車番組「新車情報」三本和彦氏の辛口コメントを振り返る、さらに愛車遍歴まで!

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