何年越しでこの飛行機の就航を望んでいただろうか?けれど、2020年5月、「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の開発を進める子会社の三菱航空機の人員削減が決まり、米国の開発拠点閉鎖も検討されているという。本当にスペースジェットは飛ばなくなってしまうのだろうか?
財経新聞にて掲載された筆者の記事
三菱スペースジェット開発中止か? 三菱航空機の人員削減でしぼむ期待
2020年5月29日に財経新聞に掲載されました。
「いいね!」を500以上いただきまして、誠にありがとうございます。
たくさんの人が、日本の翼・三菱スペースジェット(旧MRJ)の就航を待ち望んでいたのを感じます。
以下、この記事より抜粋して、このサイトにも覚書として残しておきたいと思います。
国産旅客機の製造は、日本の雇用を守るため大事
2008年に開発がスタートした当初、MRJは日本の産業にとって大きな希望だった。中小企業も参加した地域ぐるみのサプライヤー体制など、すそ野の広い航空機産業を日本で復活できることは大きな魅力だったのだ。
かつて、YS-11も翻弄された
実は、ボーイング757、767は、YS-11の後継であるYーX、Y-XXと呼ばれた次期国産旅客機開発予算を吸収されてしまった機体だったのです。これはアメリカからの巨大な政治的圧力でした。日本の翼が半世紀もの間途絶えた原因でした。(これはネットではなかなか拾えない情報です)
同様に、宇宙ロケット開発においても、アメリカのロケットを使うよう圧力がかかったのですが、ロケット研究者たちは国産化を守り通しています。だから今、H2ロケットを見るたびにうらやましく思います。(三河からのコメント)
思い起こせば、戦後初の国産旅客機YS-11は国際政治に翻弄され続けていた。それは、宇宙産業と航空産業は今でもアメリカの強い影響下にあるからで、時にロッキード事件などとなって表面化もしていた。
筆者は、若いころに日本初の国産旅客機YS-11の日本航空機製造(株)にSEとして所属していたため、三菱スペースジェット、つまり国産旅客機の復活には人一倍深い思い入れがあるのです。当時、YS-11のテストパイロット試験飛行に搭乗したのですが、その思い出は旅客機の通常運用時の搭乗とは違って忘れがたいものです。
※参考記事:国産旅客機「YS-11」初飛行(1962年) 聖火輸送、戦後復興の象徴(日本経済新聞・2020/2/28付)
※参考動画:YS11初号機、展示へ解体 羽田から茨城に引っ越し(2020.01.14)~国立科学博物館で貴重な産業遺産として保管されてきたYS-11初号機は、2019年初解体されて、20年秋以降、茨城県筑西市に移設して一般公開される予定。
↓↓↓「YS-11試作機」のプラモデル(限定品)!
新型コロナによって、またもや!?
今回、直接の動機は、新型コロナウイルス感染拡大によりスペースジェットの開発計画が大幅に遅延することとなったことだ。北米拠点を1つだけ残し2つを閉鎖、国内人員を削減する。
しかし、これまでエアラインに対する納入を6度にわたって延期してきており、未だに型式証明も取れない現状では、パンデミックがなくてもいずれ行き詰るのではないかとさえ言われてきた。
型式証明をとる難しさ
↓↓↓(下記AviationWire記事より引用)機体の安全性を証明する「型式証明(TC)」を国から取得時に使う飛行試験10号機(登録記号JA26MJ)を、3月14日に初飛行させた。開発段階で発生した配線や電子機器などの設計変更が900カ所以上にのぼり、2016年以降に実施した機器の配置や配線、配管、空調ダクト、ワイヤーハーネス、システムなどの変更を反映した機体だ。
しかし、関係者によると10号機でも不具合を十分につぶしきったとは言い切れず、このまま試験を継続した場合、2021年には納入が間に合わない可能性が出てきている
海外拠点再考も 三菱重工、スペースジェット大幅見直し(Aviation Wire) https://t.co/R1Ous0KSjd
— Aki-001 (@XF_001) May 23, 2020
スペースジェットの記事については、機会があれば、まだまだ書き続けていきたいと思っています。
※「ゴルフ」も「コロナ」もリスクマネジメントが絶対大事! 最悪を想定して行動する!そうすると、自信が持てる!
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