9月15日八王子で開催される「都市緑化フェア―」の展示飛行に備えて予行演習を行った。ブルーインパルスには熱烈なファンがいて、その華麗なアクロバット飛行は、スモークで描くことを得意としている。
おはようございま~す☆彡
八王子で「ブルーインパルス」見てきました(*^▽^)ノ
あいにくの曇り空でチト残念・・
1,2枚目・・今日の本番
3,4枚目・・昨日の予行(晴れ)皆さん、よい週末を~♪ pic.twitter.com/9kVlGJ7sqY
— 北斗七星 (@ho9107sei) 2017年9月16日
世界的にはサンダーバーズ(アメリカ空軍)・ブルーエンジェルス(アメリカ海軍)など伝統ある曲技飛行チームが存在するが、ブルーインパルスも「源田サーカス」にさかのぼる、旧日本軍の歴史につながるチームだ。
近っ!コックピット映像ほかF-16戦闘機の凄すぎるアクロバット飛行・米空軍サンダーバーズ https://t.co/f6byDf1e2A @YouTubeさんから #飛行機 #戦闘機 #米軍 #ミリタリー
— 飛行機大好き!はるき@相互フォロー (@hikoukidaisuk14) 2017年9月14日
ブルーインパルスとの初の出会い(東京オリンピック)
半世紀ほど前、東京オリンピックの時、国立競技場で行われた開会式の折、ブルーインパルスが描いた五輪のマーク仰ぎ見たのが、私のブルーインパルスとの初の出会いであり、今に足るも唯一の出会いだ。
五輪のマークが描かれていく中、一つの輪がうまく繋がらなかったので記憶に残っている。静まり返った国立競技場が、にわかにざわめきはじめ、誰に促されたのでもないが上空を見上げると、ブルーインパルスの各機が見事に同期しながら五輪のマークを画い始めていた。
戦後、航空自衛隊が出来ると朝鮮戦争で使われたF86Fセイバー戦闘機が貸与され、ブルーインパルス初代搭乗機となった。
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T-2の思い出
そして次の使用機体はT-2練習機となった。この機体には個人的な思い出がある。
これは国産初の超音速機なのだが、その設計は三菱重工となっている。しかし、そのころ私が所属していた、日本航空機製造の設計師たちが関わっていたというのだ。日本航空機製造は半官半民の国策会社で、民間機の設計製造を行うための会社で、軍用は開発できないことになっていた。
※日本航空機製造とは?
1959年(昭和34年)に設立され1982年(昭和57年)に解散した日本の航空機メーカーである。略称は日航製または英語名称の略であるNAMC。戦後初の国産旅客機YS-11を製造した。(ウィキペディアより)
しかし当時、「設計者は限られているので、T-2・C-1など自衛隊機にも関わっている」のだと先輩から聞かされた。表ざたにできないが設計だけならよかろうとしていたそうだ。
確かに、その当時記念に作られたT-2練習機のネクタイピンを先輩にもらって、現在も所有している。
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C-1の設計者には、失敗談を面白おかしく聞かされた。
その1つが、C-1の特徴であるファウラーフラップの一部の強度計算を、初飛行実験で試験機が滑走を始めたとき、何気なく計算尺でやり直していたところ、1ケタ間違っていることに気付いたそうだ。「まずい」と思ったが言い出すことも出来ず、震えながら見守っていたら、フラップが吹き飛ぶこともなく、無事帰ってきたのでほっとしたとのことだった。
後で上司に報告したら、えらく怒られたとのことだ。そういえば、それからしばらく試験機はフラップを固定して飛行していたように記憶している。
ブルーインパルスの使用機が練習機であるのは不思議に思う人もあるだろう。半世紀ほど前は、世界のアクロバット飛行チームは最新鋭の戦闘機を使っていた。その例に習えばF-4ファントムであり、F-15であるはずだった。
しかし、練習機のほうが低速での運動性能が良いのである。機敏に動けるのだ。
それは、ゼロ戦時代の空中戦の重要な性能だった。「巴戦」と言われる接近戦である。つまりブルーインパルスの演目は、ドックファイトの基礎でもあるのだ。
F-86Fセイバーの話
ブルーインパルス初代使用機F-86Fセイバーは、朝鮮戦争でのアメリカ軍のエースでした。北朝鮮軍が南下し始めて韓国軍が南に追い詰められたとき、アメリカ軍が逆上陸して北端に北朝鮮軍を追い詰めていったときのことだ。
当初P-80戦闘機とミグ15戦闘機の戦いでは、アメリカ軍は軽量で素早いミグ15に劣勢だった。日本本土の爆撃で猛威を振るったB29を次々と撃墜され、F-86Fを投入していったのだ。ミグ15に対してそれなりに対抗できたのがF-86であったが、ミグ15より軽快とは言えず、圧倒的に勝ちを収められたのは、F-86Fの火器管制装置の優秀さによるものだった。現代につながる技術である。
この技術革新の流れで、最新鋭戦闘機は必ずしも軽快な運動性能を持つ必要もなく、F-4ファントムあたりから、戦闘爆撃機となり、搭載量や火器管制装置つまりレーダーや照準器、ミサイルなどの性能で戦闘力が決まるようになっていったのだ。
そのため、軽快なアクロバット飛行を行うには、むしろ練習機が向いていることになったのだ。
T-4練習機が現在のブルーインパルスの使用機である。これも国産であるが、同時期に同じく国産になるべきF-2はアメリカの政治的介入でF-16改とも言うべき機体となってしまった。
今度F-3は、国産にしてその練習機番を同じく国産とし、ブルーインパルスの使用機にしてほしいものである。
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アクロバット飛行は事故の歴史でもあり、危険である。しかし、動画などを見てわかる通り、そのきわどい演技であるからこそ驚きがあるのだ。注意して、2020年の東京オリンピックの時に、また五輪のマークを大空に画いてくれることを、楽しみに待っている。
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