【ボブ・ディラン、ノーベル文学賞】文学なのか?[2]

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文学界から「歌が文学なのか?」などの疑問が呈せられていますが、どう解釈すればよいのでしょうか?

「風に吹かれて」は私も影響を受けました。しかし、英語の歌詞で文学的な感触までは受け取れる人は日本人には少ないことでしょう。私も文学的とは感じていませんでした。

☚【ボブ・ディラン、ノーベル文学賞】文学なのか?[1]

歌は核兵器よりも強し

「核兵器を投入すべし」と本気で考えられていました。アメリカ軍は南ベトナムだけで戦っていたのでは勝てないと北ベトナムにも爆撃を広げた「北爆」でも勝てないと知ると、北進して北ベトナム全土を侵略してしまおうと考えたのでした。そのとき核兵器を使えば、日本が降伏したのと同じように決着がつくと考えたのです。

しかし、アメリカ本国では、「異国で若者が死んでいくことに意味があるのか?」と疑問を持つようになってきており、世論は反戦ムードになっていました。その反戦の世論を喚起したのは、ボブ・ディランでありジョーン・バエズだったのです。

北ベトナム政府もその当時、時間がたてば「世論が撤退させる」と考えていたようで、徹底して粘っていこうとしていたようです。それしか近代装備のアメリカ軍に勝てる見込みはなかったからです。

文学賞より平和賞

確かに歌は文学です。特に英語は強弱のリズムですが、日本語は音程がありメロディーなのです。歌人が歌えば文学で、シンガーソング・ライターが文学でないわけもなく、ボブ・ディランは天才的感受性で世の中を見て、自分の表現をしてきただけなのでしょう。それがリズムもメロディーも世に受け入れられて、人々の心を動かしてきたのでしょう。天才の、その能力が社会の価値観と折り合いが付き、評価されるのは、本当にまれなことであり、その意味では大変、幸運な人でもあります。でもどうでもいいでしょうね!本人にとっては・・!!

私の感想としては、確かにアメリカ文化と世界の文化に多大な影響を与えた人でありましょうが、人類の価値としては「反戦」の働きを評価して「ノーベ平和賞」のほうがふさわしいように感じます。直接的にアメリカの世論を動かし平和をもたらしていますからね。

幸運な人生の持ち主

「自分の心情に忠実に生きて、それが平和をもたらし人々の命を救い、それを評価してもらえた幸運な人生の持ち主」と私は評価しています。うらやましい人です。本人はどうでもいのでしょうが・・・