【真田丸の中に見るマネージメント(1)】江ノ電のタンコロの時

日記

写真出典はウィキペディア大阪城

NHKの大河ドラマが始まって真田幸村について知ることが多く、最近の歴史研究の成果であると言っても、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗などと比較すると、かなり私は知識不足であったことは事実です。

NHKのドラマで描かれるストーリー展開では、史実とかけ離れた部分が垣間見られるのですが、学生時代に江ノ電の「タンコロ(単車運行)」に揺られて初めて「大阪の陣」のことを考えたときと、やはりテーマは同じでした。しかし、その描き方は少々あいまいにしているようで、現代の時代背景なのでしょう。

テーマは「諦めずに最善を尽くす」

真田幸村(信繁)が大坂の陣で見せた言動からは、「忠義のサラリーマンの取るべき姿」とでも言えるでしょう。

女官たちの貧祖な政策で徳川家康に主導権を握られ、関ケ原の戦いでも明確な態度を示すことなく、忠義の石田三成らの動きを見殺しにして、当時の最高の権威(ブランド)を持ちながら、徐々に追い詰められていった豊臣家でした。

それを救うべく真田幸村(信繁)は、その時々の最善の策を考えるのですが、次々に女官たちに退けられて追い詰められていきました。それでも、そのとき取りうる最善の策を進言し、身を賭して働き、成果を上げても、豊臣家臣としての地位を持たない幸村の策は退けられ、豊臣家は自ら滅亡の道を歩んでいきます。その、追い詰められながらも最後まであきらめなかった姿が、子供ながらに心を動かされて、江ノ電のタンコロが、左右に揺れていたのを、妙に大げさに感じたものでした。

「外堀を埋めろ!」はマネジメントの基礎

「外堀を埋めろ!」とは、マネージメントの世界でも有名になった言葉で、徳川家康の老獪(ろうかい)な策略として知られています。

これは大阪冬の陣で「真田丸」にしてやられた徳川家康が、一度に大阪城を落とすのは無理と踏んで、和睦を進め、その条件として二重の堀で固められていた大阪城の外堀を埋めることを豊臣方に承諾させてしまいます。そして工事を進めているうちに一気に内堀まで埋めてしまい、大阪城を裸城にしてしまいます。いったん引き上げて、すぐに再度大阪城を取り囲んで豊臣家を滅ぼした、作戦のうまさを現しているのです。

ビジネスの場面でも、強大な敵を倒すのによく使われた策でもあります。

外堀(そとぼり)を埋(う)める
敵の城を攻めるには、まず外側の堀から埋める。転じて、ある目的を達成するためには、周辺の問題からかたづけていく。

引用:コトバンク

例えば現代、トランプ説得の教訓に…

トランプ氏の言動を封じ込める策としては、最も良い策であると言えるもの・・・

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