【算数における奇習(2)】3.9+5.1=9.0は間違い!?

日記

小学校で「3.9+5.1=9.0は間違い」で「9」が正解なのだそうです。小学生の子供を持つ親が、子供の答案の先生の採点を見て「.0」を消していなかったことに対して「-1」原点であったことに驚いてネットに投稿したら「炎上」したようです。





☚【算数における奇習(1)3.9+5.1=9.0は間違い?!

算数の世界は、数学より現実の物理的条件に近い

コンピュータのプログラムでは、「3×2=6」は「3+3=6」と計算します。数式をこのような四則演算(2進数で)に置き換えて計算しています。いわば「数学を算数にしていく能力」がプログラマーには求められていたのです。

算数は現実の物事を数学よりも、さらに「物理的メカニズム」に近い形で理解しています。数学では「X+Y=6」とも表すことが出来ます。この場合、X・Yは共に同じ可能性になります。どちらかに「3」を入れれば、もう一方は「2」になります。この場合のXとYの違いを議論しても意味はないですね。でも「Xを1つの箱の中のお菓子の数」「Yを箱の数」と置くと現実とのつながりが出てきます。そこで前出の算数の問題が出来るのです。算数は現実の状態のメカニズムを理解する必要が出るのです。

教育の場で「現実」と「机上論」を混同するな

小学校の算数教育で、初めて小数点以下の数字に出会った子供が、その概念をとらえることが出来ない可能性は十分にあります。そのときでも「9.0を9」として教えて良い訳がありません

その学習指導要領は「便宜上」過渡期であるとして教えるのでしょうが、「9」いう答えが現実の世界では間違いであることを無視して「机上論」で正解としていることになります。

「机上論」とは、現場に赴かずもっぱら思索のみによって打ち立てた論説です。つまり、現実にそぐわないということです。

この場合、「小数点」の概念が理解できない子供がいるとするなら、それを避けるのではなく、ちゃんと教えるべきでありましょう。

「暗記教育」よりも「理解する」ことが必要です。

「自分が何を考えているのか」「自分は何をしようとしているのか?」など客観的基準を持てずに画一的な「ブランド志向」になる教育がそこにあります。そして、そんな人間をたくさん創り出してしまうことになります。

 

プーチンロシア大統領・ドゥテルテフィリピン大統領・トランプ次期アメリカ大統領などが多数に支持されてしまうように、「普遍的基準を持てない」ことの恐ろしさを、今「世界は体現している」のではないですか?

だれも証明できないとは思いますが、私はこのことと関係があると考えます。