お待たせしました!60年代から70年代の懐かしの旧車と呼ばれる自動車ランキング、8位から1位までを発表。
15位~9位までの記事が好評だったため、
満を持して今回は8位から1位まで!
筆者の独断と偏見、勝手な基準の、【60~70年代の旧車・クラシックカー ベスト15(8位~1位】です。
客観的基準がある訳でもなく「こんな見方もある」程度に受け止めて楽しんでみてください。
楽しみながらご覧ください‼ (愚痴っぽくなってるところもご愛敬で…)
当時を知っているクルマファン(やば、年齢がわかる?)なので、皆さんが知らないエピソードもあるかも?です。
子供のころの憧れのクルマや今から見れば珍しいクルマなど。好きだったクルマ、好きなクルマを見つけられるかな???
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【第8位】いすゞ・ベレットGT

出典:Wikipedia
日本初のデートカー?当時の「ナンパ車」
「ベレG」の愛称で通っていますよね。
いすゞ自動車が、1960〜70年代に販売した乗用車「ベレット」のGT系(1600GT、1600GTRなど)の愛称です。
日本初の「デートカー」、当時の言い方では「ナンパ車」という印象が強いです。当時の若者たちに圧倒的に支持されました。
トヨタ・セリカ1600GT、日産・ブルーバードSSSなどと競合するスポーツセダンで、日産・スカイライン2000GTと共に、女性にも好まれた車なんですよね。だから、ナンパされる女性の方も車種が分かったりしたんですよね。

クルマが近づいてくると、女性たちが「ベレGネ~」「スカGネ~」と言ってました。
現在の「カワイイ!」とか「イケてる」「エモい」と同じように使われていたのを知っているのは、僕らの世代しかいないでしょうね~!
また、GTとは最近言われませんが、グランドツーリングの略で当時は流行の先端って感じです。つまり、GTは今で言うところのステータスがあったんです。
特に、この「いすゞ・ベレットGT」は、画像でわかるように丸みを帯びた車高の低いスタイリングです。
外観は柔らかいイメージでありながら、4輪独立懸河、しかも前輪ダブルウィッシュボーンとコストのかかる仕組みを採用してます。
またDOHCエンジンで、メカニズムでは競合車を上回ってました。
いすゞ・ベレットの最強バージョンが1600GTR(GT TypeR)で、レースでの活躍(鈴鹿12時間耐久レースで優勝)もありました。
それも手伝ってか、「ナンパ」も他のクルマよりうまくいった?のかもしれません。当時は、「強い男性」に憧れるって感じでしょうか。
現代にも通じるまろやかなスタイリングを、一度試してみてはどうでしょう。
※現在の中古車価格
2026年現在、いすゞ・ベレットGTの中古車価格は、ベレット 1600GTRが400万円〜700万円程度もするんですね。
改造の内容次第でかなり高額となるようです。
【第7位】マツダ・サバンナRX-7

ロータリーエンジン車であることが全て
マツダと言えば、ロータリーエンジン。70年代も後半になってからのクルマですが、ランキングに入れないわけにはいかない車でしょう。
サバンナRX7は、1978年に発売になった2座席スポーツカーです。この車の評価は、マツダならではのロータリーエンジンであることが全てと言えます。
日本の自動車メーカーであるマツダが世界で唯一、量産・市販化している特別な技術ですからね。
初代RX-7は、運転が純粋にクルマ好きなユーザーには手ごろな価格で手に入るクルマでした。
今で言うトヨタGR86やスバルBRZあたりのスポーツカーでしょうか。(300万円あたりから手に入る)
優れたハンドリングを示す「ライトウエイトスポーツ」の1つと見ることが出来ます。ロータリーエンジンの吹き上がりは早く、スムーズです。
ただ、スポーツカーにとっての弱点があり、回転が落ちるのが幾分遅いことがあげられます。
ロータリーエンジンは排気量が少なくエンジン全体の容積が小さいため、フロントミッドシップ(FMR)のレイアウトが可能となります。RX-7はその有利な点を活かして、FRよりも優れたハンドリングを作り上げていました。
アメリカでの評価は、ポルシェと比較できる存在と言われていましたが、元々のパッケージの良さによるところが大きいのでしょう。デザインもシンプルで機能に忠実であることが見て取れます。
映画「ワイルドスピード」にも登場しており、現在でもアメリカでの評価の高さがわかります。
ロータリーエンジンは、スポーツカーのみならず、セダンやミニバン、SUVなどでもハンドリング性能、パッケージの自由度に有利になる要素です。しかし、現在の排気ガス規制をクリアできず生産が止まっています。
3代目までモデルチェンジをして2002年8月まで生産が続けられていました。
現在は、ロータリーエンジンは発電用エンジンとして、振動が少なくコンパクトであるメリットを活かそうとしています。
「炭素循環」社会実現と雇用の確保が出来る
ここで少し脱線しますが、ロータリーエンジンときいて考えることがあります。
バッテリー式のEVに切り替わっていくと、エンジン、ミッションなどが消滅することで部品点数が半減して、自動車産業全体の雇用がかなり失われることが危惧されています。
そこで、「水素と炭酸ガスを化合させてメタンガスとして」これまでのレシプロエンジンを動かせるようにすれば、炭素循環型社会を実現できて自動車産業の失業者を減らすことが可能かもしれません。
そこに、ロータリーエンジンにもメリットがあります。それは、ガソリンとメタンガスを切り替えて使えるからです。これからを期待しましょう。
※現在の中古車価格
*マツダ・サバンナRX-7の中古車は、手ごろな値段(300万円程度)~800万まであります。
しかし、ロータリーエンジンの弱点であるシールドを整備することに注意してください。初代であると、エンジン載せ替えなどが必要となる車もあるでしょう。
【第6位】日産・ブルーバード1600SSS(510)
↓↓↓グリルのSSS(スリーエス)がはっきりわかる画像です!
スポーツセダン仕様
日産・ブルーバード1600SSSは、現在のBMW・M、ベンツ・AMG、トヨタ・GR、日産・ニスモなどに繋がるスポーツセダン仕様でした。
日産・ブルーバードは日本の自動車産業創成期、トヨタ・コロナと「B・C戦争」と称され、激しくシェア争いを演じた車です。その数ある仕様の中で、標準車が1500ccエンジンであるところ、SSS(通称:スリーエス)は1600ccエンジンを装備してスポーツセダンとしたものです。

BC戦争とは、1950年代から1970年代にかけて日本の自動車市場を席巻した、日産の「Bluebird(ブルーバード)」とトヨタの「Corona(コロナ)」による熾烈な販売競争のことです。
若い子たちは知らないと思うけど、そんな時代もあったのですよ…。
当時、リーフスプリング(板バネ)にリジットアクスル(固定車軸)、ドラムブレーキが標準であったところ、ブルーバードはコイルスプリングに独立懸架、前輪ディスクブレーキと現在のスポーツセダンの装備を備えていました。

独立懸架とは、(インディペンデント・サスペンション)とは、左右の車輪が独立して上下に動く自動車のサスペンション形式。
いまでは、優れた乗り心地と接地性などを優先したため当たり前になってきてるよね。
ミッションはポルシェシンクロ
当時、ミッションはワーナーシンクロMTが標準的なところでた。
しかし、日産・ブルーバード1600SSSはポルシェシンクロ(サーボシンクロ)で、スポーツ走行での激しいシフトチェンジにもシンクロナイザーが対応できて、ギア鳴りなどを起こさない凄味がありました。

ポルシェシンクロとは、ドイツのポルシェ社が開発した、マニュアルトランスミッションの変速機構のこと。正式にはポルシェタイプ・シンクロメッシュという?
よりスムーズで確実なシフトチェンジができる高性能なシンクロとして知られていて、それを採用したブルーバード1600SSSが「走りのセダン」と言われる理由です。
残念…生産方式で遅れた日産
そうした技術的先進性でトヨタをリードしてきた長らく日産でした。「技術の日産」と言われる所以です。
でも近年、「多種少量生産」、つまりトヨタ生産方式に先を越され、事実上倒産、そしてカルロス・ゴーンの登場を招く結果となりました。

トヨタ生産方式をとり入れ工場経営(製造業)をやっていた経験から言うと、トヨタ生産方式の資金効率はとても優れているんだよね。だからトヨタは多少社会情勢が悪くなっても高利益体質を維持でき、世界一になれるのです。
自動車メーカーは、自動車性能の技術力も優れていなければならないけど、製造業のビジネスモデルは「生産方式」にあります。それを日産は極められなかったのかもしれません。
しかし日産も、サファリラリーでの活躍など日本のスポーツセダンをスカイライン2000GTと共に引っ張ってきた功績は大きなものがあります。

日産・ブルーバード1600SSSは、「技術の日産」のシンボル的クルマです!
※現在の中古車価格
*現在、日産・ブルーバード1600SSSは、中古車市場でも400万円〜600万円前後と高値がついています。
半世紀前の車ですので、ボディのさびなどは当然にチェックしておく必要があり、エンジンのみならずミッションのコンディションを注意してください。5人乗り実用セダンですので「趣味性が強く、実用」にもなる現実的な買いです。
【第5位】トヨタ・カローラ

初代トヨタ・カローラの発売は1966年ですが、現在に至るも世界のベストセラーです。
どの時代においても「大衆車」であり続けている。VWビートルに変って販売台数トップに君臨し続けている。

2代目カローラの時から追加されたカローラ レビンは1600ccDOHCエンジンを搭載し、スポーツセダンの分野でも拡販に成功しました。
日本のモータリゼイションを駆け抜けた車
トヨタ・カローラは初代(1966年~)、2代目(19701年~)、3代目((1974年~)とこの時代を駆け抜けたわけだが、日本のモータリゼイションを語る時、中心にいるべきクルマです。
そのため、独断ランキングの上位に食い込んできた感じです。

モータリゼーションとは、日本の場合、1960年代(昭和35年代〜)の高度経済成長期の社会現象です。マイカーブームとも言います。
ちょうど、カローラが発売された1966年がマイカー元年という人もいるよ。
BC戦争と言われた日産・ブルーバードとトヨタ・コロナの激しい販売合戦の最中、この2台の車(小型車)の一つ下のクラス(大衆車)となる新たな車、日産・サニーとトヨタ・カローラでも、再び激しく販売合戦が繰り広げられることになっていきました。
日産サニーが排気量1000ccエンジンで発売すると、トヨタカローラは1100ccにする。すると今度はサニーが1200ccにする、などと次々に競争をエスカレートしていきました。
当時の大卒初任給は、1960年の約1.3万円➡1969年には約3.5万円へと約2.7倍にも急増しました。
日本政府も「所得倍増計画」を掲げており、「給料が上がれば車も売れる」とまさに右肩上がりの黄金期でした。
クルマの完成度が低かった時代、整備の知識が必須だった
当時、初代カローラのオーナーだった時、冬になるとエンジンのかかりが悪くなったり、夏の渋滞ではオーバーヒートしてしまったりなど、現在に比べると完成度は不十分なクルマでしたよ。

だから、ユーザーが自分でエンジンのスパークプラグの交換、ポイント調整などを必要とした時代だったんだ。つまり簡単な整備は自分でできなきゃ車は乗れなかったよ。
ポイント調整とは、正しいタイミングでスパークプラグに火花を飛ばすための重要なメンテナンスだよ。
今ではメーカーのディーラーの整備士でもできない可能性のある、高度なメンテナンスってことになっちゃってるね。

さらに、タイヤ交換も自分でできなきゃならなかったよ。
現在のようにラジアルタイヤでなくクロスプライタイヤであったから、パンクが多かったんだ。
クロスプライタイヤは、ラジアルタイヤより構造がシンプルなため、鋭利なものが刺さると貫通しやすく、パンクになることが多い。
現在の完成度の高い車と比べると、日常的に運転していても、クルマが故障しない(止まらない)ためにかなり工夫を要しました。
例えば、渋滞にはまるとオーバーヒートを防ぐため夏でもヒーターをかけたり、エンジン回転を少し高めに保つように、停車中でもアクセルを少し踏んだりしていました。ラジエーターファンが電動ではなくエンジンとベルトで繋がっていたからです。

ラジエーターファンはエンジンの冷却水を冷やしたり、エアコンのコンデンサーを強制的に冷却するパーツだよ。
モータリゼーションの時代は、まだエンジン直結の機械式だったんだ。
現在は、コンピューター制御の「電動ファン」となっていて、エンジン停止後もファンを回して冷却してたりするよ。
こうやって、自分の車歴を含めて見返してみると、現代のクルマが飛躍的に進化しているのが、あらためてわかります。
ただ、現在のクルマはドライバーにとっても手間いらずになった分、クルマの仕組みを理解している人が少なくなったことには危惧する面もあります。
だって、メーカーのディーラーの営業マンをはじめ整備士にいたっても、私以上にクルマの仕組みについて知らないからです。最近のディーラーの整備士は、基本的に簡単な整備しかできない。もっと言えば、車検を通すだけの知識しかないのではないか?と思ってしまいます。
だから、自分の大切な愛車を預けても大丈夫なのか???と心配することも…。
(メーカーのディーラーではなく、普通の整備工場の整備士のほうが技術を持っている場合は大いにあり)
すみません、愚痴でした…。
※現在の中古車価格
*現在、トヨタ カローラの旧車の中古車価格は、状態や希少性により約150万円〜1000万円以上と非常に高額で取引されるものもあります。
特に、1970、1980年代のスポーツタイプである、レビン・トレノに人気があります。
自分も、初代カローラをレストアして乗る必要がある訳ではないですが、内装も簡素で貧しかった日本社会を思い出すには1度は乗っておきたいクルマだと思っています。
【第4位】フォード・マスタング

スティーブ・マックイーン主演の映画「ブリット」に出演
日本で当時の「アメ車」と言えば、「フォード・マスタング」を指しているような時代がありました。
(1960から1970年代、日本に輸入され始めたころは「ムスタング」と呼ばれていましたよ、今はマスタングで通っているようです。)
マスタングのコークボトルラインのスタイリングをまねた日本車も数多く出現しています。

コークボトルラインとは、その名の通りコカコーラのボトルのように、中央部がキュッとくびれた、抑揚のあるボディラインのこと。
初代マスタング(1964年)の大ヒットにより、1960年~1970年代にかけてアメ車のデザインで一世風靡したスタイルだよ。
シボレー・カマロなんかもそうだね。
現代では少々古くなったのか映画にもあまり出て来なくなりましたが、ホンダ(名バイク・エルシノア(CR250M/MT250))の広告を担当したことのあるスティーブ・マックイーン主演の「ブリット」で映画に登場します。
今だったら「ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT」でしょうか。そういえば、ニコラス・ケイジの「60セカンズ」やキアヌ・リーヴスの「ジョン・ウィック」でも、マスタングは出てたね。2000年以降の映画には意外と出てた?
↓↓↓現在でも人気の俳優、スティーブ・マックイーン(享年50歳)。ブリットではそのカッコいい姿を見せてくれます!
↓↓↓クルマ好きだったら絶対見てるはず、ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT。人気の映画の舞台がなんと東京!主人公の父親のフォード・マスタングにシルビアのエンジン(RB26DETT)をスワップしてカスタムした車両が登場するという…、まさにクルマオタク!
大排気量ドッカンエンジンのマッスルカー、マスタング
映画「ブリット」でのサンフランシスコのアップダウンのある市街地でのカーチェイスは、映画史上初めての本格的カーチェイス場面として記録されています。
その場面を見れば、当時のアメ車の姿が性能も含めてよく分かります。
発進のとき白煙を上げて空転するリアタイヤ、アップダウンのある坂道で上下動しているタイヤの様子から、当時のアメ車の特徴が丸見えです。
- やわやわのサスペンションセッティング
- 低回転大トルクの大排気量のアメリカンエンジン(5~7リッターのV8エンジン)
いわゆる「マッスルカー」丸出しのアメ車が好きになること請け合いです。
しかし、石油ショック(1973年第1次、1978年第2次)を経験すると、マスタングもモデルチェンジごとに排気量は削減されV8 5 リッターエンジンなどは過去の夢となっていきました。ほかのV8 7リッターエンジンだったコルベット、6リッターエンジンカマロなどもそうですね。
何を隠そう筆者もマスタングではなかったけど、アメ車に乗っていた時代がありました。
シボレー・カプリスです。
なにせアメ車はデカい!
全長はゆうに5m越え、車幅はほぼ2m。そのクルマで鎌倉の狭い道を走っていました(;^_^A
でもこれがアメリカの大衆車だったんですよね。日本のコロナってところかな。運転してるだけで当時のアメリカのすごさを肌で感じてましたね。
※現在の中古車価格
*現在、フォード・マスタングの旧車の中古車価格は、約100万円〜800万円以上のようです。年式やグレード、カスタマイズの有無によって大きく変動するでしょう。
大排気量のV8エンジンに限ると、300万円~800万円以上だと言われています。
シェルビーともなると、1000万円越えの個体もあるようです。
やはり当時のアメ車らしいマスタング マッハ1など大排気量エンジンをおすすめします。
大型車の運転が苦手、保管場所に困る、メンテナンス費用が心配という方は、2026年モデルの2.3L EcoBoost直列4気筒ターボエンジンが無難かもしれません。
フォードは2016年に日本市場から撤退したため、現在日本にメーカー直属の正規ディーラーは存在しません。「フォード栃木」が正規ディーラーから引き続き認定サービスディーラーとして新車・中古車販売やメンテナンスを行っています。
そのほか、並行輸入をしている輸入車ディーラーがあります。メンテのこともあるので、できるだけ有力な、そして近隣のディーラーを選びましょう。
【第3位】ホンダ・シビックCVCC

世界の排気ガス規制を軌道に乗せた本田宗一郎の「CVCC」
1970年代の石油ショック前までは「とんがった車」ばかりを開発してきた本田宗一郎(ホンダの創業者)でした。
しかし、石油ショックにより、アメリカが「大気浄化法改正法:マスキー法」を制定。
マスキー法とは「大気浄化法(通称)」のことで、当時の水準をはるかに超える厳しい自動車排出ガス規制、つまり一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を従来の1/10以下に削減しようとするものです。
マスキーは、この法律を提案した上院議員エドマンド・マスキーから来ています。
このめちゃ厳しい排気ガス規制に世界中の自動車メーカーが反対する中、本田宗一郎は「ケツ拭きになるな!」と技術者を叱咤し、触媒を使用せずクリアできるエンジンを開発していたのです。

「ケツ拭きになるな」なんて、きっと現代っ子にはえっ?て感じになる言葉なんでしょうね。
意味は、他人の後始末ばかりする人間になるなということです。つまり、他人をフォローするばかりの人間でなく、率先して責任をもったり反省したりする人間になれってことです。
今ではどっちかっていうと、他人の失敗を擦り付けられないようにするっていうすごく受動的、消極的に使うことが多いのではないかと思うけど、当時はめちゃ能動的に使っていたんですよね。
だから、技術者たちは「よし、やってやろうじゃないか!」って発奮して力を出せたんじゃないかな。
そういうやる気や苦労によって創造されたのが「CVCCエンジン」で、発表された時は世界に衝撃が走りましたよ。その後、大手メーカーも追従せざるを得ない情勢になっていきました。

そんなCVCCエンジンを搭載したホンダ・シビックは世界に誇るべき日本車です。
また、シビックCVCCは、2000年になって米国自動車技術者協会(SAE)の「20世紀優秀技術車」に選ばれました。1970年代の最優秀車という栄誉を獲得し、日本車としては唯一の受賞です。技術がやっと認められたのですよ、スゴイ!
副燃焼室を用いたエンジンは、それほど新しい技術ではなかったのですが、現在、ホンダのスーパーリーン燃焼エンジンでも取り入れられているようで、点火を助けるシステムとしてはいつまでも宝物であるようです。
設計図が書けない「エンジンの神様」
機械メーカーであるホンダの本田宗一郎は、実は設計図が書けなかったのです。
彼は午前中に開発室を訪れると、床やその辺にある板に自分のアイディアを書くと、その日の午後、技術者が図面に起こし試験部品を造り実験をしたそうです。
毎日のように本田宗一郎は開発室に現れ、自分のアイディアを書いていた。「エンジンの神様」はそうして生まれたのです。
宗一郎のアイディアを、忠実に現実の部品に作り上げていった技術者たちが素晴らしいですね。
部下というものは、ときに経営者のことを専門家でないと言い、わかりもしないのにって嫌います。まあ、専門知識はその分野で育った部下のほうが持っているでしょう。(それで苦労した経験者は語る)
でも、「この方向に会社を動かさなければ将来会社がぽしゃる」と大方針を打ち出すのが経営者なのです。個々の詳しい技術はわからなくても、経営者は決して方向性を見失ってはいけない。
継続するためにどんなに苦しくてもやめるわけにいかないのです。特に、サラリーマン社長じゃないオーナー社長は…。
たぶん、当時の宗一郎がそうだったのでしょう。
だから、専門家である部下たちの力を借り、また力がある大勢の人材を束ねる組織力で、大方針に合った製品を生み出していくことができる…。つまり、企業(組織)ってやはり多くの人の総合力なのですよ。
ほんとは一人も欠けちゃいけない。一人一人の力を出し切らなきゃ物事は創造できないのですよ。
自分の技術力、考えは素晴らしいと自尊心を満足させたいけど、一人のチカラだけじゃ企業は成功しない。
(あっ、また愚痴っちゃった?…)
「生産方式」で後れを取ったホンダ4輪部門は「ただいまピンチ」
現在、ホンダ四輪部門はコスト高に苦しんでいます。
上記にもありますが、トヨタ生産方式の効能を身をもって知っている筆者から見ると、日産よりもいいのでしょうが、ホンダも明らかに生産方式の技術開発に遅れを出しているように見受けられます。
生産方式を確立していないと、コスト高になってしまうからでしょう。グローバル経営者に生産技術と資金効率の関係性を説くことが出来れば、ホンダは蘇るでしょう。
トヨタ生産方式のすごさは、(私みたいな弱小企業の経営者が言っても認められないだろうから)それによって蘇った世界の企業たちのことを調べればわかると思う。だけど、ボーイングが失敗したように、やすやすと実現できる代物でもないことを覚えておこう。成功させるには企業細胞の奥までいきわたらせる必要がある。取り入れようと必死になる経営者たちを心から応援したいと思う。
もし、生産技術そのものに特化した単一の「世界大会」みたいなものがあれば、間違いなく「トヨタ生産方式」は最優秀賞に輝くのだろうと思う。
※現在の中古車価格
*現在、ホンダ・シビックCVCCの旧車の中古車価格は、2026年現在、約145万円から480万円前後となっています。
旧車としてCVCCエンジンを求めても、レストアできなければ博物館のように解説付きで飾っておくことになるかと思います。専門の旧車レストアショップやエンジン加工業者に依頼すれば再生(オーバーホール)が可能ですが、数百万円を用意しておく必要があるでしょう。
それでも本田宗一郎の思い出と共に、身近に置いておきたい1台です。
【第2位】日産・フェアレディZ

日本の初期自動車輸出、成功のシンボル
初代フェアレディZ(S30)は1969年 ~1978年まで生産されて、日本国内販売2割、アメリカ輸出8割と言われていました。
2シータースポーツカーとして、アメリカでは価格の安さを利してポルシェと比較される存在にまでなりました。
日本の初期自動車輸出、成功のシンボルでもあります。
(当初は「DATSUN」ブランド「ダットサン240」で輸出されていた)
スカイライン2000GTと部品共用
開閉式の簡易なルーフをもつオープンボディの「フェアレディ」から、「フェアレディZ」はクローズドボディのクーペスタイルに変更して大成功を収めています。
しかし、初代「シルビア」のように「フェアレディ」のフレーム、エンジンなどを引き継いだのではなく、むしろスカイライン2000GTの足回り、エンジンを共用して、新設計したのです。

スカイライン2000GT-RのS20型(1989㏄、最高出力160ps、最大トルク18.0㎏-m)を搭載したZ432は、スポーツカーを象徴していたね。
共用したおかげで手ごろな価格で発売できたことが、アメリカでの爆発的な人気となり成功に役立ったのでしょう。だって、ポルシェの半額以下でしたからね。
スカイライン2000GT-Rの(S20型:直列6気筒2Lエンジン、最高出力160馬力)エンジンを積んだ仕様を「フェアレディZ432(432:4バルブ・3キャブ・2OHC)」と呼んで、高性能仕様としました。アメリカ輸出用には排気量を2.4Lに拡大した「フェアレディ240Z」 として別に用意していました。
2000年8月にZ32型は生産をいったん終了しましたが、「フェアレディZ」はモデルチェンジを繰り返し、現在まで生産し続けています。
2027年も、アメリカで新型、日本ではマイナーチェンジモデルとして発表されたようです。
日産・フェアレディZは、日本車、しかもスポーツカーとしての品質を含めて高性能を世界に証明してきた存在でもあり、永遠に日本を代表する存在であり続けるでしょう。

筆者が評価した点は、車の性能として技術的に高かったということだけではないです。
自動車製造業として、量産車を基本にしていて、それでいて高性能車を安価に消費者に提供できていたことが、クルマの普及を図るという点でも評価すべき点の1つです。
そう、現在のGT-Rみたいに、特別に生産するから高額で庶民には手が出ないというわけではなかったのです。
どうだろう? こういう思想が現在の経営者にあるかな~???
(でもトヨタの章夫社長の下で作られたGR-86 はそうだね。安くて高性能!レースを復活させて普及にも貢献してる!若者がGR86やBRZでスポーツカーに戻ってきている!)
※現在の中古車価格
*現在、日産・フェアレディZの旧車の中古車価格は、2026年現在、全体で約44万円〜約4,800万円と幅広く、平均は約360万円〜370万円前後のようです。世代(型式)やモデルによって価格帯が大きく異なります。
特に、初代フェアレディZ(S30型系/1969〜1978年式)の中古車価格は、約500万円〜1,000万円以上が相場です。

筆者も若いころ所有して乗り回してたんだ。手放してしまって非常に残念(>_<)
2019年に日本郵便から発売した、FAIRLADY Z フェアレディZ 50th ANNIVERSARY 50周年 フレーム切手セット購入で我慢…(笑)
状態の良い「240ZG」や「Z432」といった希少なモデルでは、2,000万円以上のプレミア価格で取引されることも!
状態の良い整備された車を探すのは困難です。
【第1位】日産・スカイライン2000GT-R

レースに参加するために造られた車、スカイライン2000GT-R
1969年(PGC10) ~ 1973年(KPGC10)に造られていたのが初代スカイライン2000GT-Rです。
レーシングカーのR380に積まれていたエンジン(GR8)をディチューンして(S20)搭載し、ツーリングカーレースに参加するための車でした。
しかし、それはスポーツセダン「日産スカイライン」シリーズ全体のシンボルでした。
ポルシェを追い詰めた伝説のレースカー
ここで先代に当たる「プリンス・スカイライン2000GT-B」を語らないわけにはいきません。
何気ない実用車セダンであったスカイライン1500の鼻先のエンジンルームを20cm伸ばして、グロリアの直列6気筒エンジンを詰め込んでコラムシフトをフロアシフトにしただけのスカイライン2000GTを「-A」として区別し、「-B」はレース参加を前提にウエーバーキャブレター3連装で最高出力を125psまで上げていました。
「羊の皮を被った狼」のキャッチフレーズが生まれた車でした。
その後、プリンス自動車が日産自動車に吸収合併され、モデルチェンジを受け「日産・スカイライン2000GT-R」となっていったのです。
GT-Rは、Rの名の通りレースに参戦するために造られた車でしたが、現在とは違ってレースに勝つメーカーが拡販に成功できる時代でした。車の走行性能の高さや信頼性などの魅力を、レースで勝つことによって消費者にアピールできたのです。
そのため「スカイライン」シリーズ全体(1500 / 1800 / 2000GT / 2000GT-R)が人気を博していったのです。
企業戦略ですよね。

現在では、トヨタの章夫元社長がレースで自らハンドルを握り、いやモリゾーによってレース(モータースポーツ)が復活し、トヨタは、他メーカーを引き離し拡販にも成功している。
それは、自動車販売ランキング(日本自動車販売協会連合会)を見ればわかるよね。
これは、経営の理念からも外れていない。「経営者は現場に立て!」
彼は、かつての”売れる仕組み”を、自ら現場に立ち、リーダーらしくけん引して復活させたのだと思う。

日産・カルロス・ゴーン元会長は経営手腕をもてはやされたけど、経理マン(コストカッター+政治屋)として優秀であっても、マーケティングにはどうだったろね??
GT-Rを単独のブランドにしてしまったのは、ミスだったと思う…。(当時メルマガでも書いたけど…)
やはりスカイラインシリーズの最高峰としての位置づけを外さなかったほうが、下位モデルへの波及効果を切り捨てることなくある程度売上高を維持できたのだと思う。
話題性はあるけど、GT-Rが独り歩きしちゃったよね…。
スポーツセダンの市場
現在はSUVが主流で、スポーツセダンは人気が落ちています。
ちょっと前までは、BMW、ベンツ、アウディなどドイツ車で作られてきた市場ですが、それ以前、日本にもスカイライン2000GT、ブルーバード1600SSS、コロナ1600GT、セリカ1600GTなどで作られていた市場です。

スカイライン2000GT-Rはスポーツセダン市場のシンボリックな存在です。
この車の果たした役割は日本のモータリゼイション全体に及んでいます。
「日本の車を語る時、この車を語らずして語ることはできない存在」でしょう。
グローバル経営者カルロス・ゴーン氏が日産のCEOになると、「スカイライン」と「GT-R」が分離されたことは大変残念なことでした。
GT-Rはスカイラインシリーズを引っ張り、日産車全体を引っ張り、日本のモータリゼイションを象徴する車でした。
スカイライン設計者「桜井眞一郎」は、唯一設計者の名が語られる存在
あともう1つ。
数多くある日本の国産車の中で設計者の名が語られる存在であるのは、スカイラインの設計者、「桜井眞一郎」氏だけでしょう。旧プリンス自動車工業時代から日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わったレジェンドです。
レースで実績を残しただけでなくスポーツセダンを造り続けてきた結果なのでしょう。スカイラインは1970年当時からシンボリックな存在となっていました。

評価の基準は、やはり2位のフェアレディZと同じで、量産車を基本にしていて、それでいて高性能車を安価に消費者に提供できていたことです。
※現在の中古車価格
*現在、日産・スカイライン2000GT-Rの旧車の中古車価格は、2026年現在、世界的な旧車ブームと希少性の高さから、なんと1,500万円〜4,000万円以上と超高額で取引されているらしい。
ハコスカGT-R(PGC10 / KPGC10)が約 1,500 万円 ~ 3,500 万円。ケンメリGT-R(KPGC110)が約 2,500 万円 ~ 5,000 万円。
↓↓↓1/24スケールの 日産 スカイライン 2000 GT-R ワイスピ ダイキャストカー。楽天では数ある商品の中でも、これが口コミ数多い。重量感があって、ボンネット、ドア、トランクが開くようだ。でも本物欲しい…。
↓↓↓日産 スカイライン 2000 GT-Rのポスターもあるよ!貼ってはがせるタイプだから便利!
「旧車」で歴史の旅をする
1台の車が造られた時、それは「造られた時代の証人」でもあります。その時代の混沌の中で、生きるための仕事として、そして夢として作り出されるからです。
VWビートルが、ついに生産中止(2019年)となりました。
ヒトラー政権のもと、「国民車」として人気を得るためにポルシェ博士とヒトラーで考え出されたのが、ビートルです。
80年にわたって生産されましたが、当時の構想は「モデルチェンジをせず大量に作り安くする」でした。
それが、世界的ロングセラーを産んだのです。
悲惨で悲しい記憶と共にある車でしたが、世界の人々に愛されてきました。
一方、1966年に日本で登場したトヨタ・カローラは、「トヨタ生産方式」をもとに現在でも世界で売れている車ランキングでトップ争いをする状態です。
「初代カローラ」そして「初代フェアレディZ」の、その当時のオーナーであった筆者は、仕事では「トヨタ生産方式」の後を追いかけ続け、「製造業の何たるか」を身に染みて経験してきています。
これらのクルマが生まれた当時、そして現代に繋がるクルマたちの「訴える言葉」に耳を傾けることが大きな意味を持つと感じています。(ん?ちょっとキザか?)
もう一度、日本のモータリゼイション創成期の車たちが語る言葉に耳を傾けてみてください。
クラッチを繋ぐ一瞬にも、ハンドルを切った一瞬にも、彼らの伝えたい言葉が聞こえてきませんか?

