1941年12月8日(アメリカ1941年12月7日)日本軍による真珠湾(パールハーバー)奇襲攻撃から太平洋戦争は始まったとされています。真の話ではマレー半島コタバル上陸作戦が時間的に早かったと言われていますが、対英米戦争を直接引き起こした攻撃であったことは真実です。それまでの経緯はともかく、アメリカ人にとって屈辱の日として記憶されているのも事実です。それを安倍首相は払しょくすることが出来るでしょうか? 日米の和解は沖縄の基地問題を置いて、実現できるとは思われません。現在は、中国の軍拡の動向も気になります。
中国もやられたことを忘れていない
アメリカ同時多発テロ)を決して忘れない」❞
上記記事のように、かつて日本が奇襲した「真珠湾攻撃(パールハーバー)」と「9.11同時多発テロ事件」をアメリカは、本土攻撃として同列に見ています。
それは、日本も広島の原爆を忘れないのと同様です。
そして、中国、韓国も日本に侵略された歴史を決して忘れてはいません。
やった方は忘れても、やられた方は決して忘れないのが世の常というものです。
現代の日本国民が「被害者」的感情で見つめている太平洋戦争も、アジア各国にとっては「侵略者」の日本として見られていのを忘れないでください。人は加害者であることは忘れようとしますが、被害者となったとき、決して忘れることはありません。
良識ある人物、山本五十六
真珠湾攻撃を画策した山本五十六はアメリカ人にとって「卑怯者」であり、ベンガル湾で山本五十六の搭乗機を撃墜して葬り去ったときには、拍手喝采であったでしょう。
アメリカ人の大多数には、山本が英米戦や開戦に最も反対した人物であったことは知られていないでありましょう。いまだに、彼は当時の軍部にあって、「良識をもって米英の日本封じ込めに対応しようとしていた人物」であり、「早期の講和を求めていた」ことも知られていないのでしょう。
この良識家の山本五十六をアメリカ人が理解するためには、日本人の「忠義」を理解しなければなりません。戦争に反対していた一人の人間が、国家と天皇陛下に忠実な軍人としては「開戦と決したなら日本を破滅から救わねばならない」と考えたわけです。しかし、アメリカ人ならば、「開戦と決したなら反対して軍人を止めるべき」と考えるでしょう。
でもあの時、日本人である山本五十六が軍人をやめていたら、日本国民からは「卑怯者」と言われていたではずです。国家と天皇に忠義な人物であり軍人として勇気ある人物であったからこそ、真珠湾奇襲作戦を考案したのです。
今の日本でも、山本五十六のような言動をしたのなら「卑怯者」と言われるのかもしれません。少なくとも「良識家」を「疎ましい人者」と捉える現代では、多くの人に理解されることはないでしょう。
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太平洋を挟んだ戦略
現在、中国海軍空母「遼寧(りょうねい)」が西太平洋に出て南シナ海に入っています。中国は「西太平洋は中国、東太平洋はアメリカの支配権としよう」とアメリカに提案しています。つまり、アメリカ1国支配から「2大国で世界の利権を分け合おう」と・・・➡【真珠湾攻撃から75年・中国「遼寧」の位置づけ[2]➡