ここからは日産GT-R物語の第2章と第3章です。(第0章と第1章はこちらから。)
この記事ではGT-Rの系譜が一度途絶えた後、1989年に復活を遂げた「R32型GT-R」の衝撃を描きます。電子制御技術とレース戦略が融合したこのモデルは、“Godzilla”という異名を得て、世界の舞台でGT-Rを伝説へと押し上げました。
第2章:R32型スカイラインGT-R ─ “Godzilla”の衝撃と電子制御革命
― 技術と勝利が融合した新世代GT-Rの覚醒

GT-R復活までの空白と期待
1973年、排ガス規制とオイルショックの影響で、GT-Rは一時的に姿を消します。KPGC110型GT-Rはわずか197台しか生産されず、GT-Rの名は15年以上も眠りにつくこととなりました。
これにはマツダロータリー勢の激しい追い上げがあり、大型化し重量が増えたKPGC110型GT-Rでは勝ち目はなかったからともいえます。
しかし1980年代後半、日産は再び「技術の日産」としての復権を目指し、モータースポーツへの本格参戦を計画。その中核を担うべく、GT-Rの復活が決定されました。
1989年、R32型GT-Rの登場
1989年5月、BNR32型「スカイラインGT-R」が登場。

このモデルは、従来のGT-Rとは一線を画す“電子制御の塊”でした。これまで日産はR31スカイラインGTS-Rなど、レースを意識した車を作っては来たのですが、GT-Rの名は授けずに来ました。それはGT-Rは圧倒的なパワーで勝つべくして勝つ車でなければならないと自負されてきたからでした。
・エンジン:RB26DETT型 2.6L 直列6気筒ツインターボ(280馬力)
・駆動方式:ATTESA E-TS(電子制御トルクスプリット4WD)
・サスペンション:マルチリンク式(前後)
・空力性能:Cd値0.34、リアスポイラー標準装備
このスペックは、自主規制のあるエンジン馬力はともかくも、4WD機構などFRを基本としてスリップを避けてコーナーからの立ち上がりの速さを目指すなど、当時の国産車としては異次元のものでした。
これは、GT-Rが再び“勝利のための車”として生まれ変わった証でした。
しかし、この時も一般販売車種スカイラインの派生型の一つであり、現代のR35GT-Rのようにスーパーカーの位置づけではなかったのです。あくまでも量産車量の部品を多く使い、誰もが手に入れることができる車両であったのです。
電子制御技術の革新
R32型スカイラインGT-Rの最大の特徴は、ATTESA E-TSと呼ばれる電子制御4WDシステム。
通常はFRとして走行し、必要に応じて前輪にトルクを配分することで、コーナリング性能とトラクションを両立。さらに、アクティブLSDやABS、電子制御サスペンション(一部グレード)など、当時としては最先端の技術が惜しみなく投入されていました。これはあくまでもレースに勝てる車を目指していた表れでした。
この、今では当たり前になった電子制御による“頭脳を持ったGT-R”は、単なるパワー勝負ではなく、コーナーでのグリップ力などをコントロールする知性で勝つスポーツカーとしてレース界、自動車業界に衝撃を与えることになります。
また、機械式メカニズムでは微細なコントロールには限界があるため、電子コントロールによる状況に応じた制御がいよいよ始まった車でもありました。最先端技術が電子コントロールにあることが明白となり、日本が世界をリードする分野でもありました。これまでドイツの機械式組み立てが、商品価値を決めていた自動車の世界でしたが、現代のように電子制御の塊となっていくさきがけの車がR32型GT-Rだったのです。

そうなんだよね。自動車の歴史として考えると、R32型GT-Rが時代の変わり目を作ったんだよ。機械式メカニズムから電子制御っていうね。
その後、ベンツ、BMWなども後を追っていくのですが、電子制御については日本車の優位性はいまだにあるようです。ドイツが、苦しみながら日本車の後を追いかけていた時代があったのです。
グループAレースでの無双状態ー 海外メディアが“Godzilla”と命名
予定通りR32型GT-Rは、国内外のレースで圧倒的な強さを見せつけています。

いやー懐かしいな~!「日本一速い男」と言われた星野一義氏のカルソニックGT-R。当時はテレビでレースを観戦できたんだけどね~。

国内レースでは敵なしで、ぼつぼつと海外レースに参戦する車が出てきて、それまで世界のツーリングカーレースを牛耳っていたBMWやベンツなど欧州勢を圧倒する場面がみられるようになっていきます。ボルボやフォード・シエラもいましたね。
•全日本ツーリングカー選手権(JTC):29戦29勝(1989〜1993)
•オーストラリア・バサースト1000:1991年優勝、海外メディアが“Godzilla”と命名
•ニュルブルクリンク24時間で優勝(グループN)など、欧州でも存在感を示す
この“Godzilla”という異名は、GT-Rが“日本から来た怪物”として恐れられた証であり、GT-Rブランドの国際的認知を決定づけたようです。しかし、ゴジラとの愛称は、日本国内ではあまり注目はされていなかったようです。
それほどR-32スカイラインGT-Rは強かったと言えます。
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GT-R文化の拡張
R32型GT-Rは、ゲーム『グランツーリスモ』や漫画『湾岸ミッドナイト』などのメディアにも登場し、当時の若年層の憧れの的となってきました。この、“あこがれる車”の中身は、現代のGT-Rに対する感覚と少し違っており、“いつかは乗れる車”との思いが前提です。今でいうとGR86のコンセプトと共通するものでした。
•チューニング文化の中心車種として定着
•“ゼロヨン”や“峠”での活躍
•カスタムパーツ市場の拡大

実は、このチューニング文化は海外のほうが旺盛です。GT-R用のカスタムパーツを日本にまで買い付けに来る外国人も多いですよね。
R32型GT-Rは、発売後すぐに、自主規制されて280馬力と表示されていたエンジン出力はコンピュータのプログラムを書き換えることでかなり出力が上がることが示され、後のコンピューターチューンによる高性能化が始まったのでした。
これはチューニング文化に大きな革命をもたらしたともいえます。
現代のチューニングではエンジン出力を上げるには電子制御を変更するのが当然です。R32スカイラインGT-Rでは、まだメカニカルチューニングが主流の時代に、4WDのスリップコントロールもコントロールする現代のコンピュータチューニングの時代を切り開いたと言えます。
このように、GT-Rは単なる車ではなく、“カルチャー”としての地位を確立していくことになります。
でも、やはり「誰にでも手に入る量産車」のコンセプトが生きていたのです。これは、現代ではスーパーカーの分野になっているGT-Rと決定的に違うところで、これがR35GT-Rがこれまで生き残れてきた背景でもあり、生産中止になる理由の一つでもあり、復活のキーワードでもあります。それは「車の生産方式」を理解すると見えてくるのです。
第2章では、R32型スカイラインGT-R の 、“Godzilla”と命名された理由、自動車の歴史の転換点となった電子制御革命、そして日本をはじめ世界にもチューニングという文化を一般ドライバーにも根付かせたお話をしました。
では次の第3章では、R32に続くR33・R34型GT-Rの進化と文化的融合を描きます。技術的な成熟とともに、映画やゲームを通じてGT-Rが“日本国産スーパーカー”として世界に浸透していく過程を追います。いまや世界中の若者をはじめクルマ好きの心をつかんでいます。
第3章:R33・R34型スカイラインGT-R ─ 技術の成熟と文化の拡張
― “憧れ”が現実になった国産スーパーカーの系譜
R33型スカイラインGT-R(1995年)─ 技術の深化と耐久性の向上
R32型スカイラインGT-Rの成功を受けて、1995年に登場したR33型スカイラインGT-Rは、さらなる安定性と快適性を追求したモデルでした。GT-Rもスカイラインの派生車種であったので、スカイラインのモデルチェンジに従って改良を受けています。

量産車種のモデルチェンジのため、乗り心地など実用性のアップも図らなければならず、新たな装備品などで重量がかさむことになります。
しかし、電子制御技術は、もはや主たる技術と言ってよいほどになっていくのです。
• エンジン:RB26DETT(280馬力)継続搭載
• 駆動方式:ATTESA E-TS Pro(アクティブLSD追加)
• 車体サイズ:全長4,675mm(R32より+125mm)、重量増加
• ニュルブルクリンクでのタイム:8分1秒(当時の量産車最速!)
R33は“重くなったGT-R”と揶揄されることもあったのですが、実際にはサスペンションの最適化や電子制御の成熟により、耐久性と安定性に優れたGT-Rとして高く評価されています。
(車両重量増加は、R32と比較して、グレードにもよるが100kgほど重くなっている。)
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R34型スカイラインGT-R(1999年)─ 精密な走りとデジタル融合
1999年に登場したR34型スカイラインGT-Rは、GT-R史上最も“完成度の高い”モデルとされる。走行性能だけでなく、ドライバーとのインターフェースにも革新がもたらされました。つまり、計器類についてデジタル表示を取り入れてきたのです。
• マルチファンクションディスプレイ(MFD)搭載:ブースト圧・油温・Gセンサーなどをリアルタイム表示
• ショートホイールベース化による俊敏性向上
• N1仕様やVスペックII Nurなど、限定モデルの充実
• 空力性能の向上(リアディフューザー・アンダーパネル)
R34は、まさに“ドライバーと対話するGT-R”として、機械式メカニズムと電子制御のメカニズムとを融合させ、走りの質と情報の可視化をさせたモデルと言えるようになっていきました。
でも、現在にも続いているこの機械式メカニズムと電子制御の組み合わせには、技術的困難さが伴います。いわゆる「バグ」ともいえる問題は、すべての電子制御機器にはついて回ってくる課題なのです。
例えば、消費燃料(燃費)を抑えてかつ高性能を保つには、燃料噴射タイミング、噴射量など、物質であるガソリンを機械式バルブなどで制御しなければ、実現できません。
例えば、1/1000秒単位でタイムラグを抑えて燃料噴射できるメカニズムを開発しなければならないのです。
机上のプログラムでコードを書き込むことは容易です。しかし、その通り動作できる機械式メカニズムがいるのです。

現代ではプログラムばかりに目が行きがちでもてはやされるけど、プログラムやセンサーの助けを借りて実際に動くのは物理的な機械部分であるのを忘れちゃいけない。精密な機械製造ができなければ、プログラムやセンサーも役に立たないんだよね。
自動車製造では、プログラムと機械、両方の技術者が優秀で、意思の疎通がきちんとできていなければ成り立たないんだ。
これが現代の車では当然となった「超高圧燃料噴射装置」です。以下の参考記事(出典:日経クロステック)はちょっと専門的ですが、興味ある人は見てください。

映画・ゲーム・メディアでの爆発的浸透、文化をつくる
2000年代に入り映画『ワイルド・スピード』シリーズで、R34型スカイラインGT-Rが登場すると、世界中の若者にとって“憧れのクルマ”となっていくのはご存じのとおりです。
アメリカ映画でこれほど日本車を取り上げてはアメリカ人の反発を買うのではないかと思えるほど、日本車が中心に描かれていました。
しかし、それがGT-Rの優秀さを示し、世界に日本車が主流であることを示しています。日本の良心的高品質のモノづくりの考え方が、世界で好まれるように立った証でもありました。
• 『ワイルド・スピードX2』(2003年):主人公ブライアンの愛車として登場
• ゲームソフト『グランツーリスモ』シリーズ:R34の性能を体感できる仮想空間
• YouTube・SNSでのチューニング動画の拡散
この時代、GT-Rは“走る工業製品”から、“文化的アイコン”へと変貌を遂げたのです。
中古市場での価値上昇と25年ルール、これで本当にいいのかな?
R34型スカイラインGT-Rは、25年を超える中古車を自由に輸入できる米国の「25年ルール」により2024年以降に合法輸入が可能となり、価格が急騰しています。
アメリカの「25年ルール」とは、製造から25年以上経過した右ハンドルのクラシックカーを、アメリカの安全基準や排気ガス規制の対象外として輸入・登録できる例外規定です。このルールにより、日本国内で販売されていた右ハンドル仕様のスポーツカーなどが、アメリカのコレクター市場で人気を集め、高額で取引される要因となっています。
現在はこのルールにより、軽四輪自動車もアメリカに輸入されるようになり、4WD軽四輪トラックの使い勝手の良さが話題になってブームを呼んでいるようです。
• アメリカでのR34型のオークション価格:約1,000万円超〜2億超まで(映画仕様やグレード・状態によりまちまち)
• 限定モデル(VスペックII Nurなど)はさらに高騰
•“投資対象”としてのGT-Rという新たな価値軸
この現象は、GT-Rが単なる趣味の対象ではなく、資産価値を持つ文化財として認識され始めたことを示しています。
でも、新車価格よりも中古車価格が高くなる現象は、誰にでも手に入れられる車ではなく…、つまり現代のGR86などが目指してきた「クルマ文化を広める」という役割は、後退したと言えるのかもしれません。
一方で、「クルマは文化、価値ある資産」という認識は、日本人にはなさすぎるかもしれません。欧州ではクラシックカーは減税されます。また、アメリカでは排ガス規制の対象から除外されます。おとなり韓国でも同様です。それは、「クルマは文化、あるいは資産」という認識があるから。
だから、価値ある日本産GT-Rがどんどん海外に売られていってしまうのです。この件については憤りもありまたいずれ…。
GT-Rがスーパーカーと認識される段階に入ってきた印と言えましょう。
次章予告:
第4章では、GT-Rがスカイラインの冠を外し、日産のフラッグシップとして世界に挑戦した「R35型GT-R」の登場を描きます。技術の粋を集めたこのモデルは、GT-R史上初めて“完全独立”を果たし、世界のスーパーカーと肩を並べる存在となります。