政治家って、なぜみんな同じに見える?その正体は“職業病”だった

政治家 だれがやっても同じ 日記

政治家の顔ぶれを見ていて、ふとこんなことを思ったことはありませんか?

「誰がやっても、同じに見える」
「言っていることが、みんな似ている」
「結局、何も決めていない気がする」

特定の政党や人物が嫌いというわけではない。
それでも、政治家全体に対して、言葉にしにくい違和感が残る──
そんな感覚です。

よく言われるのは、
政治家は八方美人だ、嘘つきだ」
選挙の時だけ良いことを言う」
「結局、誰も責任を取らない

では、それは本当に政治家個人の性格の問題なのでしょうか。
それとも、「政治という仕事そのものが生み出す“職業病”」なのでしょうか。

この記事では、政治家を一方的に批判するのではなく、
「なぜ政治家はみな同じように見えてしまうのか」
社会構造と役割の視点から考えていきます。

政治家にありがちな特徴とは?

まず、政治家にありがちな特徴を整理してみましょう。

八方美人になりやすい、嘘つきとも言われる

政治家は、多様な支持層を相手にしています。
業界団体、地元有権者、党内、メディア…。
誰かに強く踏み込めば、必ず別の誰かを敵に回す。

その結果、
「断言しない」
「表現が曖昧になる」
「本音が見えない」
という態度が“合理的?”になってしまいます。

だから、「嘘つき」にも見えてしまう…。

ケンゾー
ケンゾー

私が古くからよく知っている政治家もまさにそうですね。昔はよく講演会に呼ばれましたが、八方美人過ぎてまったく何を言っているかわからん…。筋が通らない…。だから、それぞれの支援者の心にも刺さってないっていう…。
でもね票集めはうまいから、長年政治家が務まってるんですよ、これが。

発言がぶれる

昨日と今日で言っていることが違う。
これも珍しくありません。

環境の変化に過剰適応している結果です。

世論、支持率、党内力学。
それらが常に変動する中で、発言を固定すること自体がリスクになるんですよね。

政治家の「職業病」とは何か

こうした特徴は、やがて「職業病」として定着していきます。
それが、「政治家はみな同じ」ということになっていきます。

特にその政治家と利権を同じくしていない一般選挙民から見ると、どの政治家も同じとなってしまいます。

決断回避症候群

明確な決断は、反対勢力から必ず反発を生みます。
そのため政治家は、

「検討する」
「注視する」
「専門家の意見を聞く」
という言葉を多用するようになります。

結果、
誰も最終判断をしない政治が生まれます。

責任の分散

失敗したとき、責任を一人で背負うのは致命的です。
だからこそ、
「合議」
「有識者会議」
「前例」
に依存する体質が強くなります。

これは安全策ですが、同時に無責任体制でもあります。

ケンゾー
ケンゾー

悲しいかな、これをみんなが無意識にまねっこするんだよね。
だから、会社やマンション管理組合の中でも、だれも責任取ろうとしないから大事な案件、危険回避しなきゃいけない緊急案件さえも、漬物になっちゃうんだよ…。
これじゃ日本はダメ、つまり積極的に問題解決して、障害物を片付ける人がいないから成長も遅れるよね。

なぜ日本は特に「官僚依存」なのか

日本政治の特徴として、よく指摘されるのが官僚依存です。

政策立案、法案作成、データ分析。
これらの多くを、官僚が担っています。

官僚依存になっちゃう理由は単純です。

  • 政治家は頻繁に入れ替わる
  • 官僚は専門性と継続性を持つ

結果として、
「詳しい人(官僚)の言う通りにする」
という構図が生まれます。

問題は、これが進みすぎると、
政治家が“決める人”ではなく“承認する人”になる点です。

わかってないのに官僚の言うとおりに承認しちゃうから、とんでもないこと(官僚にとって都合の良いこと)にもなる。

ケンゾー
ケンゾー

日本は(人数ベースの意味で)官僚が多い国ではないけど、「制度・慣行のために官僚が政策形成で相対的に強い影響力を持ってきた」というのが学術的に最も支持される見方なんだよね。
慣行というのが天下りで、「権限の集中」が起きやすい。これが「官僚依存」感の源泉でもある。

サッチャーはなぜ違ったのか

ここで、高市早苗首相が「尊敬する」と言っているマーガレット・サッチャー元英首相を見てみましょう。

彼女は、決して「誰からも好かれる政治家」ではありませんでした。
むしろ、強烈な反発と対立を生み続けた人物です。

上記事、ダイヤモンドオンライン『高市早苗氏が尊敬する「鉄の女」サッチャー元英首相の神髄…有事で発揮されたリーダーシップの本質とは?」にもあるように、サッチャー氏は「知らないことに向き合い、即断した」覚悟の人です。
それが、イギリス国民にも本気度が伝わったのです。

彼女が歴史に名を残したのは、

信念を明確に言語化した

批判されることを恐れなかった

「支持されること」と「正しいと信じること」を切り分けた

からです。

労働組合との対決も、その象徴でした。
支持を失うリスクを承知の上で、
「国家として何を優先するか」を選び続けたのです。

強いリーダーを求めすぎる日本の危うさ

日本でも、「強いリーダー待望論」は根強くあります。
最近では、人気のある政治家に過度な期待が集まる傾向も見られます。

中国に対してはっきりものを言う高市首相もそう、参政党への人気もそうかもしれません。

しかし、ここには大きな落とし穴があります。

それは、
「自分たちで考えること」を放棄してしまう危険性です。

民主主義は、
「優れた指導者が全てを決める仕組み」
ではありません。

本来は、
国民一人ひとりが判断し、責任を分かち合う制度です。


結論|政治家を映す鏡は、私たち自身かもしれない

政治家の八方美人さや優柔不断さは、
確かに不満の種です。

しかし、それは同時に、
私たち国民が作り出してきた環境の反映でもあります。

批判されない政治家
波風を立てない発言
無難で失敗しない選択

それを求め続けた結果が、今の政治なのかもしれません。

政治を変える第一歩は、
「誰かに期待すること」ではなく、
自分の意見を持ち、考え続けること

サッチャーが特別だったのは、
彼女一人が強かったからではなく、
その覚悟を社会が受け止めたから
なのです。