【「長時間労働を脱する?」その意味(1)】

日記

残業なし、定時退社などが叫ばれて久しいのですが、長時間労働による過労死労災認定が続いています。産業別の「労働時間悪質度」ともいうべき査定では、銀行が昔から「サービス残業の巣」であり、最先端IT企業がワーストランキングの上位を占めています。

残業時間だけで判断するな・!

最近、電通で若い女性社員が過労死と判断される自殺で亡くなりました。「月に200時間程度で自殺とはなんだ・!」とSNSで呟いた人がやり玉に挙がっていました。

私も、彼女の数倍の残業を余儀なくされる事態に遭遇したこともあります。私はサラリーマンではなく「辞める」との選択肢もありませんでした。親兄弟、女房、子供、一家8人の中、で働いているのは私一人でした。親父は病気、母と姉と女房はお嬢様で、働いて自立するなど「下々のすること」と無意識に認識している人たちでした。

自分が失敗した時に備えて、生命保険をかけ自殺のための睡眠薬を握りしめ、家族を安全なところに住まわせて、単身で臨んでいました。

そのときは親会社が経営に失敗して、当社自身は黒字決算でも値引きが常識外で技術的対応が難しくなってきており、何よりも仕事がなくなってきていました。他社の仕事をするにも、下請けは親会社のラインと直結しており直ぐに他社製品を生産するには、条件が違い過ぎるなど問題が多くありました。また値引きが激しくギリギリに間接員を省いて採算を取っているのが通常でした。そのため新しく仕事を始めるにも間接員を増やすことが出来ず、直接、管理体制だけでなく軌道に乗るまで、技術者、作業者として手伝うことさえしなければならなくなっていました。

当時、作業時間は深夜に及び、身も心も疲れ切っていました。そんな折も折、車通勤をやむなくせざるを得なかったのですが、帰り道、信号待ちしているときチンピラに追突されてしまい、休むこともできなかったので後遺症となり、新聞も読めなくなってしまいました。親父はすでに痴呆が進み、正しい認識もできない状態でしたが、家族は海外旅行を楽しんでいました。

私は親会社の将来に見切りをつけて、自社の能力にも見切りをつけて、工場を閉鎖することを決意します。その意思を隠して、4年をかけて波風立たないように静かに始末していきました。そのとき「はっきりと死を意識」していましたが「家族は別世界で遊んでいる」ように感じました。親会社にも社員にも迷惑を掛けずに片づけると、単身で住んでいた場所も片付け家族の元に帰りましたが、虚脱感と、家族とは生きている世界の違いを、あまりにも明白に感じられて、人生観が変わりました。むしろ無事に乗り越えたとき、自殺の危険がありましたね。

言葉にはできない人間性の話など壮絶な体験をしましたが、人間、そう簡単に死に急ぐことはありません。複数の何かが重なっているのです。残業時間だけで判断はできません。

現在「企業家などやるものではない」し、「ビジネスなど嘘の塊」であると心底思っています。ファンドの奴らなど「その青い尻」を叩いてやりたくなります。「労働者の権利を認識できない」など人間のやることではない!

定時退社の夢

電力各社は原子力発電所の新安全基準にパスしなければならないので、組合の3・6協定から例外とする決定が政府から出されています・・・

【「長時間労働を脱する?」その意味(2)】➡