【日産 GT-R物語(4)】「愛のスカイライン」のエピソード

日産とGT-R物語

初代スカイラインGT-Rは「ハコスカ」の通称で呼ぶこと多いけど、発売された当時のキャッチコピーは「愛のスカイライン」でした。

初代スカイラインGT-R(C10)
初代スカイラインGT-R C10(Wikipedia)~ボルトやリベット止めのオーバーフェンダーは1970年代からはじまっていた

 

初代スカイラインGT-Rは愛のスカイライン

「愛のスカイライン」のエピソード~富士山5合目

ある日、富士山5合目の駐車場で、この初代GT-R(ハコスカ)を見かけたのですが、エンジンがかからずセルの空回りの音を私も聞いていました。

初代スカイラインGT-Rは「ハコスカ」の通称で呼ぶこと多いけど、発売された当時のキャッチコピーは「愛のスカイライン」だったんだよ。

初代GT-R(ハコスカ、いや愛のスカイライン)のウェーバーキャブは神経質で、富士山5合目のような空気が薄い場所では燃料噴射量を調整しないと始動も出来なくなってしまうのです。

当時のキャブレター使用エンジンは、冬場に始動できなくなることは珍しくなく、私も夜寝る前に毛布をエンジンルームに入れて冷えないようにしていました。

毛布を掛けてあげるなんて、ホントに「愛」があるね!

それでも始動できなくなることがあり、機械式の接点とディストリビューター、そして燃料流入量を調整することは自分でやっていました。

もちろん、スロー調整(アイドリング回転数)やプラグ接点の研磨、間隔調整などは、日常整備として出来なければ、仕事で毎日の使用には耐えられないものでした。

初代GT-Rには、もちろんクーラーは付けられず、クラッチは強化されて重く、ハンドルもブレーキも重いことから、女性にはとても扱えるものではありませんでした。

「愛のスカイライン」のオーバーフェンダー

初代スカイラインGT-R(ハコスカ)の外観では、幅広のタイヤを収めるため、レース専用車のようにオーバーフェンダーをボルト締めとしました。

今でも見かけるスタイルの始まりで、その後、トヨタ・スプリンタートレノなどにも採用されていきました。

現在も受け継がれてるけど、ちょっとやりすぎかなと個人的に思ってる、タイヤを太くするスタイルの始まりです。

愛のスカイラインから「ケンメリ」へ

出典:プリンス&スカイラインミュウジアム

当時、初代スカイラインGT-R(ハコスカいや愛のスカイライン)のCM(1972年9月・日産自動車)が、「愛のスカイライン」と謳われ広く行われてました。

その次のGT-Rのモデルで、「ケンとメリーのスカイライン」となりました。通称、ケンメリですね。

当時のCMが、以下YouTube動画にあります! いや~懐かしいな~!!何度でも見ちゃう!!!

このケンメリのCMに出演しているのは、若いころの草刈正雄さん?とも言われてた(なんとなく似ている…)のですが、実際には陣内たけしさんだそうです。女性はダイアン・クレイさん。

このCMソングの「愛と風のように」がヒットして、スカイラインのスポーツセダンの地位を不動のものにしたんですよ。

現在のBMW、ベンツ、アウディーのスポーツセダンと言われる高性能セダンの日本版と言うべき存在です。・・・

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