【豊洲問題から学ぶ(11)】「誰が?」ではなく「何が?」です[3]

日記

築地市場移転問題は、刑事責任問題になる可能性も出てきました。利権がらみの問題は多くは刑事責任問題があるのですが、ほとんど闇に葬られます。小池都知事がどこまで追及するのかは極めて政治的判断であり、それもまた「誰かが、どこかで」決めて収めてしまうのです。今回は、問題の技術的原点の話をしておきます。

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ボスは諸悪の根源

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逗子マリーナで「管理費の使い方に疑義」を言っていたころ、当時のリビエラのマンション管理会社の担当者と話していたら「誰と話せば決まるんだ・!!」と語気を強めて不満そうでありました。

当時も「どうしてそれほど罰金を払わなければならないようなことをするんだ!」と私は言っていたのですが、リビエラにとっては、物事を決めるのは「ボス」であり、「逗子マリーナも当然にボスがいるはず」であると無意識に思い込んでいるのです。そのため「ボスと話を付ければ、物事が進む」と理解しているのでした。マンション管理では法律でかなり詳しく手続きが決められています。民主的手続きを行って決定していけばよいだけなのですが、その民主的手法が「面倒で、なかなか決まらない」と感じるのです。大多数の人が、無意識に「ボスが決めてくれるほうが良い」と感じています。自分で情報を集め、考え、多くの関連する知識を勉強して、正しい結論を得ようとする手続きを「めんどくさい!」「関わりたくない」と感じています。そのため民主的手続きが行われなくなり、ボスが決めてしまうことになってゆくのです。自分の基本的人権の放棄です。現在の逗子マリーナでも進行しています。

これが諸悪の根源です。無関心、無知で、面倒なことには、かかわりを持たずに、平穏に楽しく暮らしたいのです。それが「ヒトラーを生んだ」のです。数百万人が死にました。

「品質管理を無視する企業は、大変危険な存在」です。その危険に、まず当事者の社員が気付かねばなりません。物事を決定するときに「民主的手続きを丁寧に経る」ことに集中すべきなのです。

つまり、民主主義の社会では、労働者の権利を軽視するような経営は、決して、してはならないことなのです。これが分からずに「知識人」とは言えない。もっと言えば「人間」とは認められないのです。

企業の経営者も、UAゼンセンも、AGユニオンを立ち上げた幹部も、「トンチンカン」であってはなりません。

身近な問題

 

3%e5%8f%b7%e6%a3%9f逗子マリーナのマンション管理では、結果として縄張りを張るボスが温存されて、管理会社自身が困る事態が続いています。さらに新たにマンション群全体のボスが出来てきており、弁護士を伴って全体が一人のボスに牛耳られようとしています。これは管理会社自身がボスを求めてきた結果であり、管理会社としても目先の決定は早くなっても、いずれ重荷になることは、7号棟の長期的維持の問題を見れば分るはずです。また、刑事事件化する可能性があり、進めれば進めるほど問題は深刻化します。

民主的手続きは面倒に見えても、近道なのです。それは小学校区の自治組織を逗子市役所が作り、行政に役立てようとしましたが、結果リビエラに利用されたことになり、市政の信用を傷つけました。自治組織を市役所がメンバーを決めて作るなどは、下手をすると基本的人権侵害などを起こし、刑事告訴の対象ともなりえる可能性があります。全国、多くの怠慢を決め込んだ行政が、勝手に住民自治組織を利用する、悪しき慣習を脱しなければならないのです。

物事は経緯が大切です。・・・つづく

【豊洲問題から学ぶ(12)】社会の縮図[1]

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