NHK大河ドラマ「青天を衝け」で話題沸騰の渋沢栄一。日本企業500社ほどに関わった人ということで、「資本主義の父」とも言われている。しかしよ~く調べてみれば、現在のカネにまみれた資本主義のイメージからは程遠い人ではないかと思えるのだ。資するということもあるかもしれないが、それが決して「私」しているわけではなく、【公に資する】ことをモットーにしていた人である。(画像出典:財務省)
渋沢栄一、経済と仁義道徳を両立しようとした人
富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。
正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えている
引用:「論語と算盤」(渋沢栄一)
渋沢栄一は、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬと言っている。
今現在まだ、資本主義の結末は出ていないのであるが、格差の拡大は広がるばかりで、富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなっている。そして、現在は安定していたはずの中流階級もなくなりつつあるという。
それは、消費すべき多くの人々が消費する力を失っていくということでもある。でもそれでは、ゆくゆく経済が停滞するということでもある。
渋沢栄一は、次のようなことも言っている。
今時の富豪はとかく引っ込み思案ばかりして、社会のことには誠に冷淡で困るが、富豪といえど自分独りで儲かった訳ではない。言わば、社会から儲けさせて貰ったようなものである。
例えば地所をたくさん所有していると、空地が多くて困るとか言っているが、その地所を借りて地代を納めるものは社会の人である。社会の人が働いて金儲けをし、事業が盛んになれば空地も塞がり、地代も段々高くなるから、地主もしたがって儲かる訳だ。だから自分のかく分限者になれたのも、一つは社会の恩だということを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいうものに対し、常に率先して尽くすようにすれば、社会は倍々健全になる
引用:「論語と算盤」(渋沢栄一)
富豪が社会のことには誠に冷淡で困るというのは、今も昔も同じのようだ。自分さえよければ、社会のことなどどうでもいいとなるのだろう。それどころか、「成功したのは時の運」であることがほとんどなのに、自分の能力でのし上がったと勘違いしてしまう。だから、成功していない者を蔑んでしまうのだ。
そういえば、最近TVで『海賊と言われた男』を見た。ご存じの通り、出光興産を作った人だ。この出光佐三という人も、とんでもなく厳しい壁(問題)があるのに常に乗り越えていくというすごい人だが、一方、出光にお金を貸したのに「返してもらうつもりはない」と語った豪快な京都の富豪(日田重太郎)がいたことを知った。彼は、「自分では正しいお金の使い方ができないかもしれないから、世のためにそれができる人に託したい」と言ったのだ。昔はこうした気骨のある人物がたくさんいたのに…、とひどく現世を憂う。
話を戻すと、渋沢栄一が言っているのはつまり、富んでいる(儲かった)者も、社会の多くの人々が消費活動をしているから儲かり富むことができる。その循環が止まってしまえば、富む、儲かることもできなくなってしまうということ。
もし、格差が今以上に拡大していけば、経済は止まってしまい、ゆくゆくは富める者もいなくなってしまうかもしれない。
つまり、
正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ
ということ。(これは、上にも記した京都の資産家と同じことをいってるではないか?)
渋沢栄一は、経済と仁義道徳を両立しようとした人なのだ。
※渋沢栄一は、2024年度上半期から発行される予定の新一万円札の表に描かれる人物でもある。
「私」ではなく「社会」を大事にした人
渋沢栄一の人生や言っていることを見ると、「私」(個人)ではなく、「公」つまり社会を常に考えていた人であるということがわかってくる。
彼は、人生の最後に福祉事業にも力を注いでいる。東京養育院という生活困窮者の救済施設を築いたのだ。91才で死ぬまで、彼は養育院院長だけはやめなかったという。
それと反対に、現在、資本主義の世界のトップに立っている人々はどうだろう。以下のニュースにあるような体たらくとなっている。
↓↓↓「この計画は腹立たしい」と裁判官に言わしめた最近のニュース。米レンタカー大手ハーツ・グローバル・ホールディングスは破産申請の数日前に、経営陣にボーナスとして合計540万ドル(約5.7億円)も払っていたという。また、米百貨店大手JCペニーも破産申請の直前に最高経営責任者(CEO)に450万ドルを支払っている。経営責任を問われるはずの幹部が自分たちだけ利益を得ていたのだ。
破綻よそに高額報酬 資本主義、危機が問う進化https://t.co/Mw75koDP6D
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) February 27, 2021
こんな不条理なことが横行している資本主義の現実を見て、渋沢栄一が「資本主義の父」であると言われると、こんなことを肯定していた人物なのかと誤解が出てしまうだろう。
それはやめてほしい。
だから、渋沢栄一という人物を、ちゃんと理解しておかなきゃならない!!!
もう一度言っておきたい。
渋沢栄一は福祉事業にも力を注いでいて、東京養育院という生活困窮者の救済施設を築いている。(現在、東京都健康長寿医療センター)
それは、富んだ人が出来ると貧しい人も必ず出来るというのが社会というものであり、(そりゃそうだ。上のニュースのように経営トップだけがせしめて従業員は失業する。そしたら格差は広がるばかり)
その貧しい人を放置しておけば社会全体としてはうまくいかなくなるというのを分かっていたから。
彼は、91歳で亡くなるまで約50年間養育院院長を続け、廃止論の逆風を受けながらも存続させたという。
渋沢栄一は、「私」ではなく、「公」(社会)を大事にした人なんだ。
今現在商売(会社)をやっている人も、これから起業をしようという人も、「社会的責任」を意識することが健全な社会を作ることにも貢献していくことを忘れずに。
財閥を持つ力があったのに持たなかった人
私も一介の経営者だから、いつも「会社は一体だれのものか?」と問い続けている。
だから、村上ファンドが「会社は株主のものである」と主張した時には猛烈に怒った。
会社は社会に必要な存在であり、今風に言えばステークホルダーは株主だけじゃない。ステークホルダーは従業員であり、お客さんであり、取引先であり、そして経営者である。それらが絡み合ってうまく循環しているから永く存続できるのである。
そこで、財閥のはなしだ。
財閥とは、「特定の一族が独占的に資本を握り、組織・企業グループを形成して経営を支配する形態」。独り占めしているわけだ。コンツェルンともいって、独占禁止法によって禁止されていた。
皆さんもご存じの通り、財閥で有名なのが三菱、三井、住友、安田の四大財閥。戦後にはアメリカGHQによって解体されたこともある。軍国主義と密接な関係があるとみなされたからだ。
そのうちの三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎氏と、渋沢栄一はよく意見をぶつけており、結局対立が鮮明になっていたようだ。
三菱の岩崎弥太郎は、以下のように言っていた。つまり、独裁。
「会社という形態をとっているけど、実態は岩崎家の事業であることを忘れるな。みんなでお金を出しあって、みんなで物事を決めていくような会社とは違うぞ」「会社に関するすべてのことは社長(つまり岩崎弥太郎)が最終的に判断する。勝手にビジネスを進めるな」ということです。会社の利益も損失も、すべては社長のものであり、岩崎家のもの……というわけです。そんな三菱財閥の方針は「社長独裁主義」と評されたりします。
それに対して、渋沢栄一は次のように考えていた。
「儲けることはいいことだ。でも、利益は独占することなく、社会に還元しなければならない」という考え方を持っていました。また、「公益を追求し、会社組織としての使命を果たすために幅広く資本と人材を集めて、事業を進めていく。人材は身分や家柄に関係なく、優秀であればどんどん登用して、仕事を任せていく」といった、企業の公共性や社会的責任をとても重要視していました。
2人とも日本の行く末を考えていたのは同じだったが、信念はまったく違っていた。
渋沢栄一の影響が多大だったから、今でこそ渋沢一族も「渋沢財閥」と言われたりするけれど、渋沢栄一が自ら独占していくようなことはなかった。
「財なき財閥」とも呼ばれている。
関わった事業は500とも600ともいわれているが、それが銀行やインフラ事業をはじめ、教育や福祉にまで及ぶのは、やはり「日本の社会」を構築するためだったのだとわかる。
だから、
「なぜいま、渋沢栄一なのか???」
といったら、
「自分さえよければいい」とか
「儲かるならば何やってもいい」とか
「今、自分が気持ちよければいい」とか
を考えなおしてみないか?ということ。
今の日本の社会には何が足りないのか?と考え続け、
渋沢栄一のように、社会のために何かをやろう!!!!
自分じゃなく、日本の将来のために!
↓↓↓漫画だから読みやすい!渋沢栄一の生涯を通じて、生き方や商売のあり方を考えてみよう‼