【アイルトン・セナ(1)】運命のイモラ・サーキット~マシン開発に優れた才能

アイルトン・セナ




アイルトン・セナとマクラーレン・ホンダを日本のF1レースファンは忘れないでしょう。ホンダがF1サーカスに参戦するようになり、第2次の黄金期を迎えたころです。第一次参戦の時はボディー・コンストラクター(製造者)とエンジン・コンストラクター両方を行って参戦し、第2次参戦の時はエンジン・コンストラクターとしてマクラーレンに主にエンジン供給をしていました。ホンダのエンジンは他を圧倒し、マクラーレンは老舗のボディー・コンストラクターであり、両者のコンビは当時最強と目され、そのホンダマシンに天才中の天才と考えられていたアイルトン・セナが乗り、連戦連勝を重ねていきました。

マシン開発に優れた才能を示すドライバー

F1ドライバーには、”しゃにむに速く走るドライバー”と、”そのマシンの最高の性能を引き出すドライバー”がいます。

ともかく速くて、しゃにむに走るドライバーは、ともすると車の持つポテンシャルを超えて走らせてしまい、車を壊してしまうことがあります。アイルトン・セナと競ったライバルドライバーで、その当時ウイリアムズにいたナイジェル・マンセルなどは速いドライバーの内でありましょう。マシンの完成度合いが高いと最高の走りを魅せてくれました。

もう1つのタイプは、マシンの持つ性能をよく理解して、ギリギリの能力を引き出すことが出来るドライバーです。それは、マシン開発の時、メカニックに的確なアドバイスが出来る能力があり、レースでもそのときのマシンのセッティングに合わせて優れた能力を示します。

それが、F1ドライバーアイルトン・セナでしょう。

時代を代表するドライバーの1人とされ、特に計65度のPP獲得数は、2006年にミハエル・シューマッハに更新されるまで歴代1位だった。アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルとは、1980年代から1990年代前半のF1を象徴する存在として、「四強」「ビッグ4」「F1四天王」などと纏めて呼ばれることもある。

出典:ウィキペディア

ポケットに100分の1秒を持つ男、アイルトン・セナ


F1では、現在までの毎年変わる規定では、ほとんどの年で、予選のタイムアタックによって本戦のスターティング・グリッドが決められてきました。決められた時間内で各車、自由にタイムアタックをするのですが、その間、他車が邪魔になってしまうタイミングがあります。運としか言いようがないのですが、そのタイミングまでも推し量ったようにセナはタイムアタックに出ていきます。全力で走ってコース上に数台いても、ちょうど他車が障害にならないタイミングで走り切るのです。

そして各車が競り合って、もう少しでポールポジションが取れる段階になると、セナはセットアップの変更をメカニックに要求します。すると確実に「100分の数秒タイムが上がる」のです。

セナの記録は、活動期間10年間で41勝、ポールポジション65回。シューマッハは16年間で91勝、ポールポジション69回。活動期間で比較してみると、アイルトン・セナの方がポールポジションが多かったことが分かります。

これが、「マシン開発に適した能力を持っていたドライバー」である証拠でしょう。

ホンダの創業者、本田宗一郎は「F1は”走る実験室”」と宣言していました。F1第一次参戦の時も、やはりマシン開発の天才ジョン・サティースを起用していました。第2次参戦の時ホンダは、アイルトン・セナを起用することをマクラーレンに条件としたと言います。これが、当時、『無敵のマクラーレン・ホンダ』を生んだのでした。

そのホンダが、ついにF1撤退を…。2021年限り…。

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↓↓↓2020年11月。F1第13戦(イタリア・イモラサーキット)のガスリー選手は、セナを想ってスペシャルヘルメットをかぶった!(泣)

伝説の運転テクニック、セナ足

セナがデビューしたころライバルであったアラン・プロストと強烈なチーム内の競争を演じます。ジョイントNo.1体制と言って・・・・・【アイルトン・セナ(2)】運命のイモラ・サーキット➡