セナとマクラーレン・ホンダを日本のF1レースファンは忘れないでしょう。ホンダがF1サーカスに参戦するようになり、第2次の黄金期を迎えたころです。ホンダのエンジンは他を圧倒し、マクラーレンは老舗のボディー・コンストラクターであり、両者のコンビは当時最強と目され、そこに天才中の天才と考えられていたセナが乗り、連戦連勝を重ねていきました。
セナの事故、その真相や原因は?
1994年のイタリア・サンマリノグランプリ。アイルトン・セナは、300km/hを超えるスピードで飛び出し、200km/hを超えるほどのスピードで激突したと言われます。
事故原因と考えられる理由は、「2つの可能性」があると言われています。
- その年、アクティブ・サスペンションを外さなければならなかったウィリアムズ・ルノーFW16は、セナの要請でホイルベースが短縮されました。また、ハンドルがドライバーに近寄りすぎていたため、これもセナからの強い要請で、レース直前、応急処置としてステアリングシャフトを切断してジョイントでつないでいました。車載カメラに映っていたように、セナがハンドルを左に切っても曲がらずに飛び出したことは、ジョイントが外れてハンドルが効かなかった可能性が考えられます。
- その年のイモラ・サーキット「タンブレロ・コーナー」手前には、わずかな凸凹がありました。スタートしてまだ十分にタイヤが温まらない中、車高が上がらず、その凸凹にマシンの何かが接触して浮き上がりコースアウトした可能性も考えられます。
どちらにしても、事故の後セナを載せた担架は、応急的にシートで作られたものだったと言い、脊椎損傷の可能性の高いこのような事故の場合、既に死んでいなければ載せなかったであろうとする説、レースを続けたかった主催者側が、セナの死の発表を遅らせたのではないかという説など、多くの疑問が残されました。
セナのヘルメットに残された傷
アイルトン・セナのヘルメットには大きな傷は残されていなかったのですが、その右目のあたりに事故の衝撃で跳ね返ったサスペンション部品が当たっていて、それがセナの脳まで達していたと言います。
1994年のレギュレーション改正は、観客のF1レースへの興味を繋ぐため、ウイリアムズの独走を止めるべく考えられた改正で、安定するまでかなりの時間を要したのでしょう。ウイリアムズにとってはアクティブ・サスペンションを失ったことで制御しきれないマシンの挙動が残り、そこにセナの苦悩がありました。
セナの天才中の天才とも考えられる感受性で、マシンの微妙な条件を察知して、マシンの持てるポテンシャルの限界ギリギリを出し切ろうとする中で、予想しない挙動が起きたとき、それは対処のしようがない出来事でありましょう。天才ゆえの危険な領域でした。
その後、ミハエル・シューマッハは、セナの持つ優勝記録41回を達成したとき、記者会見で人目をはばからず号泣したと言います。少なくともシューマッハは、スキー事故で動けなくなった現在、F1パイロットとは何者であるのか、きっとセナと共に共有しているのだと思えます。
現在、セナのヘルメットは2千万円で取引されています。これは、ブラジルの英雄、アイルトン・セナに対する世界の人々の評価なのでしょう。
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↓↓↓2021年、ホンダF1撤退の年…。セナが亡くなったイモラサーキットで1991年以来のホンダ勝利!!!!(T_T)
ホンダF1、1991年のアイルトン・セナ選手以来のイモラでの勝利 / F1エミリア・ロマーニャGP 決勝#F1jp | #F1 | #ホンダF1 | #イモラ | #アイルトン・セナ | #ImolaGP | #F1エミリア・ロマーニャGP 🇮🇹 https://t.co/drz8C5KFqf
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➡スキー事故で重傷のミハエル・シューマッハ、またスポンサーが契約解除。それでも息子に…