「どうあるべきか?」と考えることは、「不自由」なことでしょうか? 最近「どうあるべきか? と考えることから、解放されて自由になろう」とのキャッチコピーを耳にします。確かに「どうあるべきか?」と考えることなど無意味だとばかりに「自由奔放」に言動する若者は増えたように思います。いや、かなりの年寄りでも多く見かけるようになりました。
しかし、冷静に見直してみれば、国会議論も、自動車の設計も、商売も、みな「どうあるべきか?」と考えていることに変わりはない。つまり、文明社会は常に「どうあるべきか?」と考え続けてきた結果なのです。どのように理論づけても「どうあるべきか?」と考えずに言動すれば、最悪、身の破滅を招くでしょう。
連合、労働組合の連合体が保守勢力と共闘できる?
小池百合子の「希望の党」は連合を取り込もうとしています。でも国民は、この問題をあまり心配していない様子です。
しかし、日本社会の保守勢力は「現在の利権」を守る姿勢に変わりはない。それは、日本社会の現体制を作っている勢力の利益を守ると言うことです。つまり、ゼネコンや大手企業など財閥と言えるほどの利権、政治力を持つ勢力と、さらには官僚組織など既成の利権集団と、労働者とのかかわり合いを見逃していることになります。
そもそも連合が誰の味方なのかさっぱりわからない。
非正規労働者が増えてる現在において連合さえも既得権化しているやん。労働者のため? 完全にずれてるよな。それが民進の混迷の一端でもあったし。連合の神津会長、前原代表に説明求めるhttps://t.co/il9EIH7HOr
— takacello (@takacello) 2017年9月30日
上場会社の配当金は13兆円
非上場会社も多くあるので、投資家に払われる配当金は20兆円を下るまい。
このうちの半額、約10兆円を日本社会に循環させたなら、待機児童、高齢者対策、育児支援など、社会問題の大多数が解決できる。利益として決算するのでなく、給与として日本国内社員に回すだけで、不況感は吹っ飛ぶ。
出来るだけ給与を増やす方向にすることだけ考えても、保守と労働組合は対決せざるを得ない。
小池独裁色の強い「希望の党」
これが、労働組合の立場に立って、官僚の無駄使いを糾弾する「仕訳」などするはずもない。その仕分けで官僚を敵に回し、逮捕の一歩手前まで追い詰められ、失脚したのが小沢一郎であろう。
「連合」が公明党東京都議団のように「利用されて捨てられる」のを見たくはない。民主党丸ごと合流とならなくても、小池百合子が「丸ごと合流する気はさらさらない」と言ってのけるところは、サイコパスの不利なところだ。「政策一本化は難しいので、緑の党の政策に賛同できる方をお迎えしたい」程度に言っておけばよいのだ。このあたりは小沢一郎そっくりなところで、小池百合子も将来、敵を作り過ぎて小沢一郎と同じようになるのであろう。
➡【希望の党】サイコパス小池百合子、勝負の時 足蹴にされた公明党の怒り
小池百合子代表、民進希望者「全員を受け入れる考えはさらさらない」と明言https://t.co/ey2DXUjPeC pic.twitter.com/gCO3AIa7xr
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2017年9月29日
しかし、それが「どの程度の権限を持ってからになるのか?」
もし「政権を握ってから後」であると、またスキャンダルが出てこないと終わらない。
国民には、東京都政での小池百合子の実績を正確に評価してほしいものだ。特に女性には・!
冷静に考えてみて下さいよ。小池百合子は「都政改革の一丁目一番地」と称した「情報公開」という最重要公約でさえ、公衆の面前で堂々と「AIである私が決めたのだから」という理由で易々と反故にしたような人物なのです。これは要するに、小池新党の公約には信用の裏付けがないという意味ですよ。
— 異邦人 (@Medicis1917) 2017年9月29日
このままいくと、日本社会はアメリカの後を追い「格差が広がる一方」となる。連合は労働者の組合参加率を増やす努力をしなけれなまらないが、労働者の社会的立場を保持できていない。この上小池百合子の主導で民進党の組織、資金を利用されて、労働者の立場を捨て去ってよいものではあるまい。
公明党の二の舞いをすることなく、単にブームに乗るべきではなく、小池百合子にも、あいまいな政策ではなく「労働者の権利をどのようにして守るか?」については具体的に表明させるべきであろう。