【テスラは何を間違えたのか(2)】命令で品質管理はできない! 人格の尊厳が品質を造る

日記

ヘッジファンド運用会社キニコス・アソシエーツのジム・チャノス社長がインタビューで、米電気自動車(EV)大手テスラは、常に空売り投資家の標的となり、「袋小路に向かっている」と述べた、とニュース。多くのテスラ幹部が同社を今年辞めたという。



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命令で品質管理はできない

上に立つ者の勘違い

「品質管理」というと、「作業標準」「マニュアル」「稟議手順」などを指していると勘違いしている経営者は多い。また、弁護士に「コンプライアンス委員会」を任せると、「ガバナンス」をきつくする。それが方向性であると勘違いしているのだ。

実際には「社員の気持ち」にあることを知らないのだ。”仕事は人がやること”である以上、方向性は「気持ち」(モチベーション)で決まる。「高慢な管理者の姿勢」では、自動車産業の高いレベルの「品質を維持する」ことはできないのだ。

”現場を見る”ことの意味

品質管理は、まず人間の「絆」の構築から始まる。『どこで切っても金太郎あめ』というのがトヨタの経営者の姿勢だ。それは担当者であろうが、社長であろうが「同じことを考えている」と言っているのだ。最近のトヨタの「いいクルマをつくろうよ」というキャッチフレーズには、その基本が込められている。

最新の「シミュレーション技術」を振りかざして、「現物試作」を甘く見る考え方を言っただけで、その技術者は設計者として現場を動かす力を失い機能しなくなる。「シミュレータでは判明しない個所を明示」すれば、現場は喜んで探し始める。それが彼らの仕事であり、優れた能力であるからだ。(現場を知らない経営者では、これがわからない)

社員も人間、誇りを持っている

社員は人間であり人格者である。「上から目線」で「ファイナンス技術」を見せびらかせば、管理機能はマヒする。「ノルマ」を作らせるのではなく、「ノルマ」を目指す気概を持たせるのだ。人間には「誇りと尊厳」がある。それを一人一人の社員が「仕事の中に見つけ出す努力に協力するのが管理職」だ。

つまり、「組織の一員として役割を果たしている自覚と尊厳」が「品質保証」の力となるのだ。

例:カルロス・ゴーン氏の間違い

しかし、これを作り出す「組織運用」は並大抵の努力では出来上がらない。だから、日産自動車の”公用語”を英語としたことにはがっかりした。カルロス・ゴーン会長には「グローバルに活躍するビジネスマン」の誇りがあるはずだが、日産自動車の社員には「日本の会社」である誇りがあるはずだ。会長の入る会議ではともかくも、社員には日本語を公用語とする誇りを残すべきであった。

それは、「日本式QC(quality control)の在り方」を肯定することにつながるからだ。”公用語”を英語としたことは、品質保証の根幹を捨て去ってしまったに等しい。少しずつ社員は「プライド」を捨て去っていく。それによって、品質管理体制を少しずつ崩していることを自覚するべきだ。参考:QC(コトバンクより)

日産の検査不正も、元を正せばこれに由来するかもしれない。

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実感!人格の尊厳が品質をつくる

筆者も、製造業の経営者である。品質管理を自社で始めるとき、外部から講師を招くと同時にやったことがある。

職場ごとのチーム内で、月ごとの「誕生日会」を開くことを、予算をつけて奨励することから始めた。一人一人の存在を「職場のみんなが望んでいる」ことを感じてもらうためだ。

そして、チームの各人に順番に講師になってもらい、日頃の仕事で感じていることを教えてもらった。単なるグチしか言えない社員もいた。それでもみんなで一生懸命聞き取って意見も言った。みんなが”その人のどれほどくだらないグチ”であっても、真剣にとらえていることを知らせるためだ。

すると、現在のネット上の意味もない悪口のような意見は、だんだんと影を潜め始め、次第に「カイゼン」を求める声に変わり、そのうち社員自らが「自分が行動するための協力を要請する言葉」に変わっていった

品質管理の始まりだった。

経営者、管理者は「我慢」が必要だが、「命令」は避けることだ。自発的に「カイゼン」することが「自分の存在価値である」と感じるまで、静かに待つ姿勢が経営者には必要なのだ。

「高学歴の立場を鼻にかけて、現場の社員をさげすむ姿勢」では何も始まらない。そんなことをしている経営者なら、「あなたは学校の勉強は記憶力で優れていたかもしれないが、理解力は最低である」ことを知らなければならない

どのような人も優れた部分を持つが、欠点も多い。だから、社員の力を協調させることが「品質保証」には絶対の条件だ。

なぜなら、会社の商品の品質は、「社員全員で造るもの」だからだ。当たり前であろう。役割のない社員は一人もいないのであり、全員が係る以上、全員が心を一つにできなければ、間違いは起こる。

前記事でも言ったように、ソフトウエアは一人の天才で成り立つが、自動車は全ての係る社員の仕事で品質は決まる。だから製造業はソフト産業と違って、立体的であり奥が深いのだ。

天才イーロン・マスクには、「多くの人の心を束ねる」ことは出来ない技なのだ。
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